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早稲田大学院の入試記録
大学院って、そういうもんだよなぁ。なんか軽くカルチャーショック的なものを受けてしまった。
長崎で平和について研修している時に知り合い、それからお世話になっている教授が新しく作る大学院のコースを受験しに、早稲田大学の戸山キャンパスを訪れた。
日本の大学ってそういう感じだったな。
この試験体験を通して、なんならキャンパスに向かう学生たちの流れの中から感じていた違和感を、ここに残しておこうと思う。
なんだろう、一緒に受験するために教室に集まった人たちは、他者とコミュニケーションとるってより黙々と勉強してきましたって感じの人がとても多かった。休憩時間も、誰とも会話せずに前を向いてスマホ見ながらそれぞれコンビニおにぎりを食べている。
試験監督の一人は、まるでニュース原稿を読み上げるかのように注意事項を読み上げていた。一言一句、流さぬように、同じテンポで、同じ声量で。同じことでも、休憩時間が終わるたびに何度も繰り返す。聞いている側は生きている人間だということを忘れているかのようだった。
みんなスマホの中だと饒舌なのだろうか。
これはこの大学院の特有のことではなく、日本の教育機関特有なのかもしれない。試験だからというのは多少あっただろうけど、すごく従順で、目立とうとせず、同調圧力が強いあの感じに、なんだか一気に息苦しくなってしまった。
あと隣の人に話しかけておしゃべりしていたら、私が前付き合ってた人の知り合いだった🙄。ここでも世界狭いかよ。
一般科目は、私のコースは社会問題についての用語解説や、グラフを読んでの解決策提示。今年からできるコースなので、サンプル問題しかなく戦々恐々としていたが、自分の関心のあるジェンダーの問題がドンピシャで出て、完璧ではなかったもののある程度の知見は示せたかなと思った。
でも驚いたのは、アジアからの留学生の受験生が多かったこと。第二外国語は多くの選択肢から選べるんだけど、だいたい英語だろうと思いきや、周りは中国語や日本語などが多くて、逆に英語はマイノリティだった。同一に見えて、実はそうではないのかもしれない。
英語の問題は、大学受験を思い出す、あの穴埋め問題。アメリカでの留学を通して私が身につけた技術は、どれだけ正しく読むかではなく、大量の事前課題を前にどれだけ手を抜けるか、どれだけテクノロジーを駆使した上で要点を掴むかだった。そのおかげで、最近受けたTOEFLはリーディングが留学前より落ちているという絶望を味わった(準備が足りなかったのが理由なんだけどね)。こうしたテストが測れる「英語力」と、私がサバイバルのために、そして対人的な関わりを通して自分の可能性を広げるために使ってきた、英語での自己表現やコミュニケーションのスキルには、大きな隔たりがあるようだ。
でもものすごくいいなと思うのは、キャンパス周りに古きよき飲食店街がずらっと続いていることだ。私のバイト先の塾の教室長の先生は早稲田出身なので、「馬場歩き」の極意や、おいしい油そば、家系ラーメンやうどんのお店を30分以上教えてもらった。長年店主が守り続けてきた早稲田生憩いの場たちは、すごく豊かな文化だなと思った。
そして、OBOGの量や出身有名人の数が、小さな大学出身者と比べて桁違いなことだ。就活などでも、何人かと話せば一人は早稲田生がいるんじゃないかってくらいだ。母数の数は侮れない。出身大学は、かなり簡単に誰かと繋がれるきっかけになりうる。その実用的な「ネームバリュー」のようなものに、目が眩みそうになった日だった。