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博士の異常な愛情、核保有こそがコメディか

ドクター・ストレンジラブ。ストレンジラブ博士というキャラクターが話の鍵になるこの物語を、「博士の異常な愛情」と訳したのは、ウィットに富んでいるのか、それとも少しずれているのか。

核戦争は、こうして起こる。起きれば、大量の人が死に、植物は死に絶え、地上では100年間生きられなくなる。

この映画の舞台は、キューバ危機真っ只中のアメリカとソ連。(以下、ネタバレ含みます)

両国は核戦争に備えてそれぞれの警戒を強めていた。精神に異常をきたしたアメリカの准佐が突然、他国が戦争を始めた時のための緊急指令を勝手に出す。戦争開始時にすぐさま核兵器を落とせるように常に巡回している戦闘機にも、その指令は知らされた。非常事態態勢となり、外との通信は遮断される。このままだと、ソ連に核弾頭が投下され、その報復として核戦争が結果として起きてしまう事態となった。

みんな慌てる。もし戦闘機をアメリカに連れ戻すことに失敗したら、それが核弾頭を落とす前にソ連の方で撃ち落としてくれ、とソ連幹部にお願いするアメリカ大統領。ちなみに、もしソ連に核が落ちたら、自動で「皆殺し装置」が作動することをその時知らされる。作動すれば、10ヶ月以内に人類含めた生物が絶滅する。両者、なんとか核戦争は避けたい。

でもそううまくはいかない。この非常事態を解除するコードは、この気の狂った巡佐しか知らない。しかもそいつは司令室に立て篭もりやがった。この件を聞きつけて計画をやめさせようと来たイギリスの大佐は、人質に取られる。結局話し相手に。そうこうしてたら、そのコードを手に入れるためにやってきた空軍と、警戒体制の基地の間で銃撃戦。でもこれ、味方同士。そのことに全然気づきやしない。銃声が近づくのに気づき、准佐、あっけなく自ら命を絶った。大佐、話からコードを導き出して、ペンタゴン(国防総庁)に電話、既に撃墜された数機以外の戦闘機から作戦中止に応じる旨の返答を得て、一件落着。

のように見えた。一機だけ、撃墜されかけて損傷したけどまだ目的地に向かっている機体があった。無線も破壊されてて、作戦中止の連絡が伝わってない。機体に乗ってた少佐、なんと核弾頭にまたがったまま落下、「国の英雄」として。

ペンタゴンの会議室では、ストレンジラブ博士の高笑いが響く。まるでクララのように車椅子から立ち上がり、ナチス式敬礼と共に「総統!私は歩けます!」と叫ぶ。博士はナチス・ドイツに仕え、アメリカに帰化した科学者だった。彼は淡々と述べる。核兵器が炸裂した後10ヶ月の間に、地下1000kmのところに地下壕を作り、人類存続のために、「選抜された頭脳明晰な男性と、性的魅力のある女性、そしてもちろん国家の指導部」を入れると熱弁。ちなみに男女比は、1:10だと目を輝かせる。周りの長官たちもそれを聞いて大喜び。

そして核は落ちた。

戦闘機と白人中年男性しか出てこない、なんて味のない映画なんだと思った。全編白黒なのも、あまりに味気がないことを示すのにちょうどいいのかもしれない。女性は、ホテルの部屋で下着姿で出てくるのみ。国の、そして地球全体の命運がかかる意思決定をするのは、スーツを着た「男」の仮面を被った人たちというわけだ。今読んでいる本で、男として生まれるというよりも、成長し社会化する中で、「女らしい」とされる要素をできるだけ取り除いて、「男らしい」男性が誕生するのだと書いてあった。「伝統的な男女の社会化は、女性から声を奪い、男性から心を奪ってきた」(宮地2004)と。その男らしさによって成り立つ防衛専門家たちの部屋では、人の命は、抽象化された数字に成り下がる。

キャロル・コーンが有名な論考「防衛専門家たちの合理的な世界におけるセックスと死」で書き上げたように、会議室での会話には、社会的・人道的な要素は見事に取り除かれている。かわりにウィットに富んだユーモアと、軽快で性的なジョークが飛び交う。「人類存続」の名の下に正当化される優生思想。女性は子を産む道具となり、残すか殺すかの判断軸は、「性的魅力」と「妊娠できるか」になる。これを見てようやく思い出したけど、この映画、実は3年前に大学の国際政治の授業で観たんだった。Zoom授業で退屈てしょうがなくてあんまり観ていなかったけど、最後の最後にこの博士の突飛な発言が出てきた時、私は口をあんぐり開けてショックを受けていた。そしたら同じ授業を受けていた友達がzoom越しの私の表情に気づき、LINEで連絡してきたんだった。その時は、信じられない、なんて差別的なんだろう、という感覚だったけど、今は全く驚かなくなった。むしろ、こういうものだろう、と。それは諦めとかではなく、国の防衛に関する決定がどのよううな論理や空気感でなされるのかを、紆余曲折しながらも学んできたということなのだろう。

この映画は、あまりにシリアスなタッチと暗いテーマだが、「ダーク・コメディ」というジャンルに位置する。1人の人の狂気が、全人類を巻き込んだ滅亡の物語に終結する。そしてそれを止められない、軍隊の官僚制。司令にただ従う兵士たちによる、ドミノ倒しのように淡々と起こる暴力の連鎖。一つボタンをかけ違えれば、一つの命令が発令されれば、地球が滅亡する、そんなシステムそのものが、コメディのようにおかしく、道理が通らないのかもしれない。

ちなみに、博士の異常な愛情という邦題は、キューブリック監督が訳に厳しくて逐語訳しか認めない中、英語の”Dr. (博士)Strange(奇妙な、異常な)love(愛情)”の単語ごとを訳し、これでいいでしょ、と抜け穴を見つけたもののようだ。それ聞くと、やるじゃん、って思ってくる。

長崎で被爆の歴史とローカルな平和構築を学び、ジェンダー問題とつなげて活動した1年間。最近は、核廃絶というでかいゴールへの途方もなさと、どの方向に自分がコミットしたらいいかを見失ったことから、「核廃絶」に向けて活動してます、というアイデンティティを失いかけていた。でも同時に、世界で数ヶ所の国が持つ核という大量破壊兵器、そしてそれがもたらす覇権性への「異常な愛情」のおかしさに、声を上げることはできるのかもしれない。そして、自分にはまる場所を待つのではなく、常に自ら訴えかけ、作っていかなければならないのかもしれない。

テレビの番組表で偶然見つけて録画し、1ヶ月眠らせていたこの映画。コメディのような現実とどう向き合うか、考えるきっかけをくれた。

11月13日
朝5時、世界の終わりみたいな空を見ながら

P.S. 映画のオープニングロールの字体が、Tavi Gevinsonの”Rookie”のやつみたいで可愛かった。

映画のオープニングロール
Rookie Year Bookの表紙

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