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村上春樹とTokyo, Amherst

8月12日、なんてことない日

4日間にわたる大学での強烈なバイトが終わり、次のバイトが始まるまでに二日の休みが生まれた日。私は渋谷のミニシアターで映画でも見ることにした。帰国直後は、ジリ貧すぎて見れなかった映画。これからは、バイトと受験が忙しすぎて見れないだろう映画。この散財は、ある意味自分への投資なのだ。枯渇した創造力を、映像作品での想像力で補う。やらなきゃいけないはずの大学院のリサーチとか勉強とか、そんな優先順位を無視することで浮かび上がる何か、言い換えれば「生きている実感」みたいなものを、私は無性に欲していた。

ベランダでの夢想・村上春樹

最近は親が旅行に出かけた。家に一人、洗濯をしたり、料理をしたり。まだ家事が、新鮮で贅沢に思える日々だ。これが1ヶ月続いたらきっと苦痛になるのだろう。「日常は途方もない生活の積み重ね」だと気づいた、少し前の日記もここに置いておこう。

午後3時、数時間前に干した洗濯物を取り込みながら、スマホで「ミニシアター」と調べていた。「なんだ、まだ靴下乾いてないじゃん。」そう思いながら、父の分厚い靴下だけは庭に置いてけぼりにした(後記:今読み返して思い出した、まだ干しっぱなしだ)。そういえば、1週間前はあんなに苦しんでいた口内炎は、今はどんな感じだったのかも忘れてしまったな。そんなことを思いながら、検索結果に出てきたのは渋谷のユーロスペース。今日やっている映画で目についた村上春樹小説のアニメーション映画「めくらやなぎと眠る女」を見ることにした。

ベランダからの景色

そういえば、私は3年前、村上春樹の短編に凝っていた時期があった。あの薄い単行本のペラッとした感じが好きで、神保町や新宿の古本屋で見つけては、電車でひと作品ごとちびちび読んでいた。その中で、彼による同名の小説を読んだことがある。

「めくらやなぎには強い花粉があって、その花粉をつけた小さいな蠅が耳から潜り込んで、女を眠らせるの」。

そして、いつも持ち歩いていた小さなノートに生まれたこのドローイング。

体内に(勝手に)入って、命を生み出し、いずれその人間の意識を乗っ取ってしまうという「めくらやなぎ」。耳は目と繋がっていると聞いたことがある。この映画の英題が”Blind willow”となってることで気づいたけど、「めくら(=目が見えない)やなぎ」というのはそういうことか。昔から私の中で、自分の体の中の見えない部分が、なんだかとても怖い。自分の一部のようで、自分じゃない気がする。皮膚の下とかすごい怖くて、細胞が等間隔にびっしり並んでいるを想像すると鳥肌が立つ。この自分の体の自分でも理解できないところがなんらかの意思を帯びて自立することへの恐怖が、この小説への背徳感のある興味を呼ぶのかもしれない。

確か、この小説は「螢・納屋を焼く・その他の短編」という本に載っていた。村上春樹の小説は、現実と幻想が入り混じって当たり前がみしみしと壊されてゆく。現代アートのようにわからない、わかろうとすること自体がバカらしいように感じる、その感覚が好きなのかもしれない。ただでさえこの世はナンセンスで溢れているというのだから、多少恣意的なナンセンスが入ったところで、むしろスパイスになるというのだろう。

同時に、多くが男性の一人称(もしくは男性を主人公とした三人称)で語られ、女性はすぐ裸になるか不可解な死を遂げ、男性の内面の探索や救済の道具のように使われていく様がムカついてしょうがない。村上作品をいくつか読み続けていた時期は、同時にフェミニスト文学の川上未映子を読んで中和しようとしていた。(実際は川上未映子の小説の刺激が強すぎて、思考を全部持ってかれたものだ。)

夕陽、夏、トーキョー

電車に乗って渋谷駅へ行く。午後6時、多摩川を越える橋にかかった時、乗客の顔を照らす光が特段変わったのに気づいた。ああ、あのスポットに差し掛かったか。私は席を立ち、雲間から差し込む夕日が川を照らすドアに向かい合った。カタンカタン、と走ってゆく電車を、西日は少しだけ追いかけようとして諦めたように見えた。さようなら、今日という日。数年前にふと感じた、太陽が沈んだ時、1日は命を終えるのだという感覚は、今もなぜか謎の確信を帯びて頭に居座っている。数年前、大学の芝生に座りながらこの考えを誰かにポロッと言った時、その人が「わかるよ、その感覚」と言ってくれたのを覚えている。誰だったかは忘れてしまったけど、歳上の、なんだか尊敬しないではいられない、独特のカリスマを持った人だった。夕陽といえば、ここ4日間心と身体を酷使したバイトの中、心の拠り所にしていたのは小学生の頃にハマっていたAKB48の「夕陽を見ているか?」だった。夕陽を一人で眺めるという行為は、学校や仕事の帰り道、誰に言われたでもないけど自分の頑張りを認めようとする過程と呼応する。最近ピアノで弾けるようになりたくて練習している曲でもある。

電車を降りて、ハチ公出口に出る。ノイズキャンセルのヘッドホンには、チェット・ベイカーの”Autumn Leaves”が流れていた。この間あった友達は、「チェット・ベイカーの声がやたらとやらしい」と言っていたな。昔バイト先が一緒で、今は謎の料理友達になった友達は、次はどんな秋料理を作ろうかと連絡をくれた。ようやく訪れた夏は、次の季節を背中に従えているようだ。「栗、さつまいも」、言葉にしてみては、「これ家で作れなくない?」というツッコミが返ってくる。でも今は、まだ夏のままで、このうだるような暑さと陽炎の中にいさせてほしいなと思う。

スクランブル交差点を渡って、道玄坂の方に行こうか。そうしたらその辺りにユーロ・スペースはあるだろう。そう思って交差点の方に行ったら、ちょうど青信号が終わりかけていた。急いでないし、次のを待とう。そう思って立っていたら、後ろの方で何やら騒ぎが聞こえた。やっとヘッドホンを外したら、それはパレスチナ連帯のデモだった。そのデモが行われていることへの驚きではなく、今の今まで、それに気づかずに自分の世界にこもっていた自分に呆れてしまった。さすがに何してんねん。ノイズキャンセルで消していいものと消しちゃいけないものがあるでしょ、なんて。次の信号が終わるまででも、と思い踵を返してその集団の方へと向かった。

パレスチナ・イン・トーキョー

そういえば、アメリカから帰国して丸2ヶ月が経った。初対面の人に使える「先月帰ってきたんですよ〜」というカードは、もはや期限切れになった。アメリカのことは、Spotifyのポッドキャストでしか聞けないし、インスタのリールでしか見れないものになった。混迷する大統領選だって、自分がいた場所で起きていることとは思えない。でもふとした時に、アメリカでの一年が浮かび上がることがある。その瞬間が、今日のシブヤで起きたのだった。ICU(大学)の先輩でもある方が力強いスピーチを終えて、コールに入った時。

”Free free Palestine!”
”From the river to the sea!”

それは、とても聞き覚えのあるものだった。時は2023年10月、2024年3月。アメリカはマサチューセッツ州の大学、UMass Amherstにて起きた、二つの特に大きなプロテスト。集った学生たちは、自分たちが通う州立大学がパレスチナでの虐殺に加担していることを糾弾し、一回目は50人以上、二回目は130人以上の逮捕者を出した。その時に学生たちが口々に叫んでいたコールと、今渋谷で叫ばれていたコールは、全く同じものだったのだ。

渋谷のプロテストの様子

私の心は、警察が学生たちの群れの前に銅像のように仁王立ちし、光など届かないであろうサングラスの奥で私たちを監視していた、あの夜に戻っていた。隣の大学から様子を見に来た友達の一人は、状況に圧倒されて後ろの方のベンチのそばに立ちすくんでいた。もう一人の友達は、パレスチナの布・カフィーヤで顔の一部を隠しながら、掛け声に混じっていた。私たちは幸い逮捕されることはなかったが、一部の群衆には警察が無作為に飛び込みそこにいた人を逮捕していたらしい。目の前で、友達の友達たちが酷いやり方で逮捕されていくのを見た。戦争で使われる囲い込みの手段が使われ、座り込みのテントがゴミのようにどんどん壊されていくのも見た。その瓦礫を運び出すためのゴミ箱を用意した職員たちは、彼らがこれからすることを「動物駆除だ」と言っていた。

警察への安心感が一夜にしてひっくり返った日のことは、この日記に認めている。読み返すと、今でも何も信頼できないようなそんな孤独感と、それでも同世代の平和を信じる人への連帯感と、夢見てやってきたアメリカという地への失望が、身体を駆け巡る。

朝日新聞で出会った、いとうせいこうさんの言葉を思い出す。

「たまたま彼らであった私」と、「たまたま私であった彼ら」

いとうせいこう「国境なき医師団を見に行く」・朝日新聞「折々のことば」より

逮捕されたか、されなかったかはほんのわずかの差だった。留学生の私がもし逮捕されていたら、強制送還の可能性だってあったはずだ。最近校則が変わって、プロテストは禁止され、逮捕された人はキャンパスに入れなくなった。親にもし話したら、そんな馬鹿げたことで人生や将来をダメにするなと怒られるだろう。でも同時に、今家を壊され、逃げた場所でも病院学校関係なく「テロリストの拠点だったから」という理由で爆弾を落とされ、計画的に飢えさせられている「彼ら」だって、「私」だったかもしれないのだ

歴史は繰り返す。家を出る前に見始めたベトナム戦争についての映画「ザ・ファイブ・ブラッズ」でだって、1960年代、ベトナム戦争での理不尽な殺し合いをやめろと市民が立ち上がり、警察という権力からの暴力を受けていたことが描かれていた。(映画「シカゴ7裁判」には、こうしたプロテストが警察との衝突に発展し、リーダーたちが扇動罪で理不尽な裁判を経験する様が描かれている。)

卵と壁

ただただ、私は自分がいる場所が、二ヶ月前にいた場所と確かにつながり、そして中東の地と確かに交わり合っていることを感じ、圧倒されていた。そしてその時、ふと気づいた。

私がどこに立っているのかは、必ずしも私が実際にどこにいるかという事実にはよらない、ということに。

つまりこれは、居住地ではなく、立場性のことだ。時間や場所を超えてどんな情報を探索し、何や誰に共感、共鳴し、どんな行動を起こしていくかは、制限こそあれど、自ら選び取り得るものであるはずだ。

奇しくも今から映画を見にいく村上春樹は、2009年のエルサレム賞受賞スピーチで、こんなことを言っていた。そしてさらに奇しくもこのスピーチは、私の6歳上の姉が高校生の時に英語スピーチコンテストで朗読したものだった。

「高く強固な壁とそれに打ち砕かれる卵があるなら、私は常に卵の側に立つ」

壁がどれだけ正しく、卵がどれだけ間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しく間違っているかは他の誰かが決めるでしょう。おそらく時間や歴史が決めることでしょう。もしも、何らかの理由で壁の側に立つ小説家がいたとしたら、その作品にどんな価値があるといえるでしょうか?

社会学やジェンダー学を勉強するものとして、また自分がマイノリティ属性を持ち、マイノリティの友達を多く持つ者として、実際に「卵」の側に立つことがどれだけの「壁」を生み出すかをよく知っている。さらにタチが悪いのは、クィア理論のレジェンドであるサラ・アーメッドが言うように、その壁は卵の側に立たないと見えないものであるということだ。

シブヤの迷路を抜けて

そのプロテストには数十分いた。国籍を超えた連帯が心地よかった。日本らしいなと思うのは、マイクを持って声を上げる人、それを囲む賛同者の周りに、野次馬の層が出来上がることだ。野次馬は多様で、コールを口ずさむ人たち、おもしろがって写真を撮る人たち、怪訝な目で様子を伺う人たち。映画の時間が近づいてきてその輪を抜けようとしたとき、隣に立っていたアラブ圏から来たらしき人と優しく笑顔とうなずきを交わして、「よい一日を」という無言の意思表示をした。

道玄坂までは、交差点を抜けて、三叉路になっているところの一番左を抜けていった。プロテストのマイクの声だけが小さく聞こえる。近くを歩く人が、「(マイクの音だけ聞こえて)なんかライブみたいになっちゃってるね」と笑うのが聞こえた。薬局やご飯屋さんがひしめき、観光客や若者でごった返していた。パチンコ屋のきつい冷房は、この人混みの中でかすかに心地いい。

相変わらずの方向音痴で西に行きすぎてしまったので、クラシック音楽が爆音で流れるクセ強純喫茶「ライオン」を目印に右折した。このあたりは(ラブ)ホテル街。休憩や宿泊の巨大看板が視界をかすめる。一仕事終えた様子の男女数組とすれ違った(我ながら野暮な推測だ)。昔喫茶ライオンに行きたくてここら辺を歩いていたら、知らない男の人に「あの〜Tinderでマッチした人ですか?」と声をかけられたことがある。その時に初めてここあたりがそういう通りだと知ったのだった。

詰め込みすぎた村上作品

ユーロスペースは、吉祥寺アップリンクにも似た隠れ家的なミニシアター。月曜の割と遅い夜の枠とあって、数組がバラバラと座っていた。

Q列、9番席。頬杖をつきながら、そしてお気に入りのおにぎりケースに入れたおにぎりを頬張りながら(ユーロスペースにはスナックの販売はないので、持ち込みは黙認されているようだった)、このアニメーションには、表題の他にも村上春樹のいくつかの小説のオマージュがあるな、と思いながら見ていた。男子二人・女子一人の仲良し3人グループのうち、男女が付き合い、付き合っていたうちの男子一人が亡くなり、生き残った二人が恋仲になるというストーリーラインは「ノルウェーの森」に似ているし、「ネジマキ鳥クロニクル」に着想を得ていそうなセリフも出てくるし、「かえるくん」が東京を地震から救った後に体内から虫が大量に出てくるシーンもどこかで読んだし…。映画が終わって調べてみたら、なんと村上作品6作を再構築したものだという。ちょっと詰め込みすぎじゃないかというのが率直な感想だった。また、一重まぶたをやたらと強調したキャラクターデザインは、ある意味統一された美意識を醸し出すと同時に、これが西欧で作られたということを考えると、「オリエンタルでエキゾチックなクールジャパン」という眼差しを帯びてくるのだ。

裸の女性、探索する男性

さらに、一人称で語られる男性に対し、女性は、感情的・無意識的な役割を割り当てられている。たとえば、3.11の後に言葉を全く発さなくなり、寝食を忘れてテレビのニュースを見続け突然家を去る主人公の妻や、北海道のホテルで主人公を誘惑し身体を重ねる、同僚の妹の友達の女性、猫を探しているうちに迷い込んだ家の庭で出会い、不可解なヒントを残していなくなる16歳の少女。多くの村上作品の例に漏れず、女性登場人物は男性の自己探求の道具として使われているようだった。特に違和感を抱かずにはいられなかったのは、彼女たちが、いかに裸に近い(もしくは裸で)描かれていたかだ。今例に挙げた3人のうち、主人公の妻キョウコは紐のタンクトップにパンツ姿でソファに寝転び、若い頃の回想シーンでは、主人公の視点から、病院着から覗く胸の形がクローズアップされる。北海道の女性は自ら服を脱ぎ裸になるし、少女もキョウコと同じように薄いタンクトップ姿だ。村上作品に根強く残るこのMale gaze(男性の視線)をそのまま映像化したらこうもなるか、という納得と疲弊を、こうして言語化することで強く感じていた。

日本の地震とみみずくん

私がこの映画を見ようと思ったのは、自分の大地震への恐怖と向き合うための何かが欲しかったからだった。数日前から注意報が発令された南海トラフ地震。3日前には、東京でもかなりの揺れを経験した。3.11のような地震がまた起こったら?日常が突然に壊されたとしたら?アメリカに留学してみて、日本が地震と隣り合わせであることのある種の独特さを感じていた。やっぱり、地震がない地域の街並みは日本と全く違うし、建物への安心感みたいなものも全然違う。多くの人は、地震がどんなものであるかを想像すらできないだろう。今年4月にニューヨークで珍しく地震が観測されたんだけど、体感震度2くらいの揺れで街が持ちきりになっているという話が留学先の授業で出て、私が「(日本では)これくらいよくある」と言ったら、教授がドン引きしていたのを思い出した。

映画自体は、地震についての話(「かえるくん、東京を救う」)の他の要素が多すぎて、そこまで深く入り込めなかったように感じる。東京の大地震を起こすとされる地中に住む「みみずくんの怒り」とはどんな正体なのか。高度経済成長による自然破壊、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の描写たち。みみずくんの怒りは、これらの人間の愚行を非難する、自然の具現化なのか。それならば、同じように経済成長をし、破壊兵器を作ってきた他の(西洋諸)国で地震はあまり起こらず、唯一の戦争時の被爆国である日本で地震が起こり続けることを、みみずくんの怒りでどう説明できるのだろうか。いろんな要素をちょっと詰め込みすぎたせいで、それぞれの物語の整合性や一個一個の分厚さがおざなりになってしまったんじゃないかと思った。

ああ、色々考えすぎてそろそろこの銅像みたいになりそうだ。おやすみなさい、東京。

8月12日、Nujabesを聴きながら


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