高校入試に落ちたら(その1)

 ぼくがこれまでの人生で最も多く見てきた夢は、高校入試で問題を解いている場面だ。ほとんどがいちばん苦手だった数学の問題を解いているときで、答案用紙がまったく埋められないまま時間ばかりが過ぎ、不合格を確信するというシーン。

 これだけでも夜中に冷や汗をかいて布団からはね起きるには十分な悪夢なのだが、受験は一度では終わらない。夢で、ぼくは次の年も同じ高校を受験するのだけど、またしても問題がまったく解けない。そしてその翌年も……。気がつくと、最初に一緒に受験した中学の同級生は高校を卒業し、もし試験に合格して高校入学を果たしたとしても周りはずいぶん年下ばかりという状況。無間地獄だ。

 高校受験をしてからだいぶ経つというのに、なぜこんな悪夢を未だに見続けるのかというと、ぼくは実際一度高校受験に失敗しているからだ。

 16年前のちょうど今頃、ぼくは秋田県内で2番目くらいの進学校を受験し、落ちた。その高校は、国語、数学、英語、理科、社会の5教科500点満点で370-400点取れば確実に合格。ぼくが受験した年は例年に比べて英語の問題が難しく、後々聞いたところでボーダーラインは350点ほどだったらしい。受験から一夜明けた教室では、同じ高校を受けた同級生が「自己採点で350点だよ、ヤベー」と嘆いているのを尻目に、ぼくの自己採点はたしか250点ほど。合格する方が難しいというか、高校側にしてみれば他の受験校の生徒が紛れ込んだのでは思ったのではないだろうか。それぐらい悲惨な結果だった。

 自己採点の段階で落ちたことは確信していたたが、一応受験日から1週間後ぐらいにあった合格発表を見に行くことにした。めちゃくちゃ雪が降っている日だった。
 高校玄関前に貼り出されていた合格発表ボードには、ぼくの受験番号「48」は、やはりなかった。周りの合格した同級生たちに情けない姿を見られたくなかったので、「いやぁ負けた負けた、完敗じゃい」と無理矢理笑顔を作ってその場を立ち去った。
 帰宅し、泣きながら家族に不合格だったことを報告するぼく。父、母、兄、じいちゃん、ばあちゃんが押し黙っている中、最初に口を開いたのが85歳近くになるひいばあちゃんだった。
「修二、なんで泣いてる?」
 ややボケが来ていたひいばあちゃんは、ぼくを自分の末の息子と勘違いしているらしい。それを聞いたばあちゃんが「修二だったら落ちたりはしない」とぼくの傷口に塩を塗るような発言。
「そんなことを言うなよ!」とばあちゃんを避難する兄。さらに落ち込むぼく。

 しかし、いつまでも悲しんでもいられない。すぐにでもこれからどうするかを決める必要があった。選択肢は2つ。後期試験で私立高を受験するか、中学浪人して来年また公立の高校を受験するか、である。
 ぼくの腹は不合格を確信したときから決まっていた。来年また同じ高校を受ける、だ。
 秋田県には5校しか私立がなく、そのうち2つが女子校。さらに残りの3校のうち2つがぼくの住んでいる町から遠く離れた(電車で2時間ほど)ところにあった。通学圏内に唯一ある私立高は、進学校の合格ボーダーラインに遠く及ばなかったバカ=オレが言うことではないのは承知だが、ホントに公立校を落ちた生徒の救援ネットのような学校と認識していた。それに、決して裕福とは言えない家庭で、高い私立高の学費を出してもらうことの引け目もあった。
 
 進路に関しては家族だけでなく親戚・知人縁者からも「来年もし合格したとしても年下の同級生に囲まれて上手くやっていけるのか」と心配する声もあったが、ぼくの考えは変わらなかった。
 そもそも、中学に入学したときからどんなに成績が上がらなくてもぼくの志望校は変わらなかった。理由としては、2つ年上の兄が入っていたというのもあるし、好きだった同級生の志望校だったというのもある。それらを抜きしても、ぼくが入る高校はそこしかない気がしていた。

 入試の合格発表があったその日のうちに母親と共に中学に出向き、元担任に中学浪人をする旨を伝えた。
 母親は元担任に「(浪人する方法の1つとして)もう1年、中学校に籍を置いてもらうことはできないか」と尋ねていたが、返事は「すでに卒業式を終えてしまっているので、それはできないません」。そりゃそうだ。
 元担任からは秋田市にある中学浪人を専門に教える予備校を勧められ、翌日には入学手続きを済ませた。こうして、1年間の中学浪人生活が始まったのである。

 合格発表の数日後、中学校で卒業生、在校生が一堂にそろい、学校を離れていく先生たちを見送る式があった(卒業式を終えてからそんな式を行うのも変な話だが)。
 この式にぼくは出るつもりでいた。高校入試に落ちたからといって姿を見せないまま同級生たちに気を使われるのはごめんである。ただ日にちをまちがえていたため結局その式に出ることはなかった。
 こうしてぼくは16歳の1年間、高校浪人という回り道を歩むことになる。
(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?