32歳 スペインを離れてどこへ行く
セビリアの焼き物工房から、誰か日本人に来てもらいたいという話が友人のKさんからあった。
それはKさんの仕事ぶりが素晴らしかったからなのだが、私たちの生活資金もいよいよ底をついてきたので夫はそこで働くことにした。
元々手先の器用な夫でも絵付けの仕事はかなり難しく、売り物になるまで何十枚も割られた。素焼きの器に描くので、やり直しがきかず、同じ速さで一気に同じ色で描くのは想像をはるかに超えた難しさだった。
時給とはいえ売り物にならないのでは話にならないし、Kさんの紹介ということもあって夫は必死に描き続けた。その甲斐あってなんとか売り物として出すことができるようになった。さらに仕事に慣れるよう遅くまで何枚も描いた。
しかし、時給だといくら頑張ってももらえる金額は変わらないので、夫は出来高制にしてもらえないかと工房の主人に交渉してみた。すると、意外にも忙しい時期でもあったので快く承諾してくれた。それからはますます描く速度も速くなり、それに比例して絵も安定していった。
ところがあまりの勢いで描くものだから工房の倉庫に在庫がどんどん溜まっていって、工房の主人は借金をしてまで夫に給料を払うことになった。もうこれ以上工房に迷惑をかけるわけにはいかないと、ついに夫は絵付けの仕事を辞めた。
スペインを離れる時が来たのだ。
何の当てもないが、スペインの次はベルギーに住もうと決めていた。相変わらずのんきな考えで(考えなどなかったかもしれないが)、スペイン同様どうにかなると思っていた。しかし今回は小さな娘もいる。なんとかお金を工面してベルギーに移動することにした。友人たちは私たちの無謀な行動に呆れながらも快く見送ってくれた。
列車でマドリードへ行き、そこから飛行機でパリへ飛び、パリから列車でベルギーのブリュッセルへ向かった。ところが途中、列車事故がありブリュッセルに着いたのは夜中の1時だった。
駅前の古びたホテルに部屋を取った。部屋に入るとそこはとても広く、細いベッドが10台ほど並んでいた。そして壁に浴槽が置いてあってその上に蛇口がついていた。何とも変わった作りの部屋だったが、寝る場所を確保できただけでほっとした。娘は広い部屋を喜んで、あっちのベッドこっちのベッドに乗ってはしゃいでいた。
翌朝は外のザワザワとした声で目が覚めた。何だろうと思って窓を開けると、目の前の大通りにテント張りの店がびっしりと並んでいた。そこに来る客と店の人の声だったのだ。その日は日曜日で朝市が立つ日だった。
天気は悪かったが、賑やかな朝市の光景はどんよりしていた私の気持ちを一気に明るくしてくれた。窓から両脇の建物を見ると、写真でしか見たことのないおもちゃのようなかわいい建物がいくつもくっついて建っていた。
ベルギーに来たんだ。
何かが始まる気配が朝の澄んだ空気にあった。