中1 手すり磨きのアイススケート
私が中学生の頃の娯楽と言えば、遊園地に行くか映画を観るかボーリングをするかスケートをするかぐらいだった。
親にお小遣いをねだってなんとか行けるスケート場が市内にあり、そこは夏はローラースケート場になり、冬はアイススケート場になって一年中営業していた。
当時、テレビでローラーゲームという激しいぶつかり合いのスポーツを放映していて、プロレスに次ぐ人気だった。私もローラースケートに挑戦したことがあったが、スケート靴を履いたら一秒も立っていることができず、転ぶとすごい勢いでドッシーンと床におしりを打つので、とても痛くてすぐにあきらめた。初心者が頭や手足にプロテクターを付けるという発想もその頃はなかったし、簡単にできると思っていたのは大間違いだった。
その点、アイススケートは少し違った。
氷の上ということもあって毛糸の帽子や手袋が必需品で、冬の厚着で体を守ってくれる安心感もあるからか、スケート靴を履いても氷の上に立っていられる。
しかし、まずはひたすら周りの手すりを磨くことから始まる。怖くて手すりから手を離せないからだ。次に手すりから手を放さず少しずつ滑る。滑るというより歩く。込んでいる時は手すりに手を置く隙間もなく、氷の上に立ってじっとしているしかない。
慣れてくると思い切って手すりから離れ、足を前に出してみるが、チョコチョコ歩くだけで、まるでペンギンの赤ちゃんだ。少し大きく足を動かして歩くと、すぐにドッシーンと転んでしまう。氷も床と同じくらい痛い。でも、結構厚着をしているのでそれほど痛くは感じない。今と違ってダウンジャケットなんて軽いものではなく、毛糸のセーターの上に厚手のジャンパーといういで立ちである。
リンクの中央あたりは空いていて四、五人の人しか滑っていない。手すりがないから、うまく滑れる人じゃないと楽しめないからだ。
運動音痴の私でも回数を増やすにつれ、だんだん滑れるようになって手すりから離れていった。それでも、急に誰かがぶつかってくるとこちらも巻き添えになり、またドッシーンと転んでいた。周りの人が自分の方に来ないように見渡しながら、みんなおそるおそる滑っていた。
へたくそだから滑った後は気持ちがいいという感じではなかったが、確実に前よりはうまくなっていた。とにかく汗びっしょりで、毛糸の帽子を脱ぐと頭から蒸気がホワンと上がる。冬休みの大きな楽しみだった。
大人になるにつれてスケートをする機会もなくなった。
ある日、叔母の家の片づけを手伝っているときに、押し入れから皮の専用バッグに入った二足のアイススケート用のシューズが出てきた。私のいとこ兄妹のもので、靴を見るとほぼ新品だった。叔母は、もう使わないからほしかったら持って行っていい、と言った。女子用の白い方を試しに履いてみると、私の足にぴったりだったのでもらって帰った。
その数か月後、友人からスケートに誘われて10年ぶりにアイススケートをすることになった。せっかくのチャンスだからと、叔母からもらったシューズを履いた。
すると、リンクに入る前から、みんなが私を見ている。
私のシューズは白で、スケート場のレンタルシューズはすべて黒だったからだ。リンクの氷の上に立つと、さらに多くの視線を感じた。マイシューズを持っている人は上手い人と思ったのだろう。私はチョコチョコとおそるおそる滑り始めて、手すりから離れてもペースを上げることもなく、恰好だけの初心者で、見ている人を大変がっかりさせてしまった。
結局その後は一度もシューズは使われることなく押し入れに保管され、三十年後、実家の片付けで捨てることとなった。
今はスケート場もほとんどなくなって、アイススケートはテレビで観るものとなった。空中で回転など、信じられない技が次々と披露されて圧倒される。
私の子どもたちにスケートの面白さを教えてあげることはできなかったが、ベルギーで一度だけ娘がスケートをしたことがある。冬の間、凍った池が子供用のリンクになっていたのだ。
ベルギーの画家ブリューゲルの絵に出てくる光景だ。
まさにあの絵はこのことだったのだ。