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21歳 モヘアのセーターは素敵すぎる 

人事異動でチャキチャキの大阪の男性がやって来た。

その人は顔も体も大きく、声も大きく、笑い声も大きく、ガラガラしたガサツな雰囲気で、私はあまり好きではなかった。いや、大嫌いだった。

彼の席は私の隣になり、書類が少しでも私の机にずれると、
「ここからこっちには出ないでください」と私は言って、
机に大きく手で線をひいた。
彼は、「そんな殺生なこと言わんでも」とか言ったが
「いいえ、ダメです」と強い口調で答えていた。

そんな大阪人は営業でどんどん大きな契約を取ってきた。そのたびに部長からお褒めの言葉をもらい、得意顔で私の隣に座る。

「やっぱり大阪の人は商売上手なんだなあ」と内心思ったが、決して口には出さない。私には契約なんて関係ないから、知らんふりして6時の時報と共に会社を後にした。

そんなぎくしゃくした関係も、私が大阪弁の表現に慣れるとともに、だんだんほどけていった。そもそも、それまで大阪支店の人と電話で話して、いやな気持ちになったことは一度もない。これは大阪弁というより、いきなりの馴れ馴れしさについていけなかったのだと気づかされた。

そして、今までのことが嘘のように彼の話が楽しくなった。
些細な会話もまるで漫才を聞いているようだった。私も会社で大笑いすることが多くなり、彼のおかげで社内の雰囲気もすっかり明るくなった。

それまでいた社員は、ほとんど関東か東北の出身で、私以外は英語も結構話せるし、どちらかというと紳士的でおしゃれな人が多く、スマートな大人の集まりという感じの職場だった。
そこにいきなり大阪の漫才師(みたいな人)が来たもんだから、私は戸惑っていたのだ。

彼のおかげで今までになく社員同士の交流も盛んになり、冬にはみんなでスキーに行ったりもした。

彼が東京に赴任して1年が過ぎたころ、再び大阪支店に戻ることになった。聞くところによると、彼の父親から縁談の話があり、会ってもいないのにその人と結婚するつもりだという。彼は私より3歳年上だったから、その時まだ24歳である。よほどの家柄だったのかもしれない。

東京での最終日、会議室で簡単な送別会を開いた。彼が東京にいたことで、どんなに社内が明るくなったかを、アメリカ人マネージャーが面白おかしく日本語でスピーチした。マネージャーも彼から話術を教わったようだ。

帰り際に、彼は「いろいろ世話になったから」と言いながらデパートの包装紙に包まれた平たい箱を私に渡した。
何かなと思ったが、そこで中は開けなかった。

「ありがとう。また、会社静かになっちゃうな・・・元気でね」

「おおきに、元気で」

・・・・・・・・・

家に帰って箱を開けた。

びっくりした。

見たこともないフワフワの真っ白なモヘアのセーターが入っていた。

・・・・・

私が白いモヘアのセーターをもらうなんて・・・

私にこれが似合うと思ってくれたなんて・・・

なんだかもったいなくて、いつまでも着れなかった。

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