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ITなんでも屋は何を求めてヒロアカを読み続けてきたのか

さらば、ワンフォーオール

ヒロアカの続きがもう出ない、週刊少年ジャンプ。
それを前に、ITなんでも屋の僕はうなだれ続けている。

「僕のヒーローアカデミア」が週刊少年ジャンプで、ついに完結してしまったのだ。

僕はヒロアカを週刊で読むために、定期購読を始めた。

ヒロアカのアニメの「轟焦凍:オリジン」「ワン・フォー・オール」「デクvsかっちゃん2」「麗しきレディ・ナガン」を、気づけばぼんやりとみている。
ヒロアカの40巻と41巻を、電車の中でふと読んでいる。

それでも、ヒロアカの感想が書けない。
同僚や家族にそうぼやく自分がいた。

そもそも、ヒロアカで考察したり、語るべきことはもうほとんどないように思えたのだ。

作者の堀越先生がすでに語るべきことを語ってくれたからだし、さまざまな伏線を拾い集める作業も、誰かがすでにしてくれているはずだし、ファンアートを描いて昇華させるにしても、堀越先生のように描ける気がしない。

それでも、何か還元をしないと。
同僚や家族にヒロアカの話をするたびに、そう思ってきた。

それで、視点を変えて考えてみることにした。

僕は何を追い求めて、ヒロアカを読み続けてきたのだろうか?
どうして僕が、こうしてヒロアカの喪失に、さながらワンフォーオールの喪失に苦しむようにまでになってしまったのだろうか?

言い忘れていたけれど、これはネタバレなしで僕が最高のヒーロー……
ではなく、共感が下手でぼんやりとしたITなんでも屋が、ヒロアカを通して共感のできるごく普通のITなんでも屋になるまでの物語だ。

実家にいる妹たちから勧められた、ヒロアカの世界

無力なITなんでも屋として会社員になってしまって二年目、ふと実家に帰ったときのことだ。
学生だった妹たち二人が、ヒロアカのアニメを見ていた。たしか一期の「オールマイト」だ。

妹たちはしきりに「ヒロアカはいいぞ」と勧めてきた。
特に原作一話、アニメだと一話と二話がいいんだ、と言っていた。
曰く「力がないままヒーローをするのは無謀だけど、だからこそ感動する」

以来この原作一話の感動を求めて、ずっとヒロアカを見ているらしい。

当時の僕は、まだ人から勧めてもらった作品をみる習慣がついていなかった。

だから、パッと見て自分好みのビジュアルのキャラクターが見つけられなかったことや、自分の執筆している現代SFのジャンルには少々当てはまらないことから、いったん断って、実家から自宅へ帰ったのであった。

KindleとITなんでも屋とヒロアカ

僕は会社の上司に勧められ、Kindleを買った。
上司いわく、いろいろな本を簡単に注文して読める、ということらしかった。IT系の技術書は電子書籍になっていることが多く、本棚を圧迫しなくて済むと思い、僕も選んだ。

僕がわざわざ本を買い漁っていたのは、IT仕事をこなしていくには自学自習をせざるを得ない状態だったからだ。それでも仕事は定時で上がって執筆に戻っても文句を言われないようにするためだった。

僕は自己評価として、ぼんやりした人間だ。
他人に共感したり手助けするとかというものが、あまりにも下手なまま育ってきた。みんなが残業していても頼まれなければ平気で帰るし、おすすめされたヒロアカも断ってしまうほどだ。

もともと僕は情報工学専攻ではあったものの、それらそっちのけで絵や小説をつくりなおしてきた。いまの会社にも偶然雇われたに近く、ITに関する能力は事実上皆無で、惰性で絵や小説も続けていた。

おまけに、会社が求めるITのレベルは、優秀な高専生であったとしても厄介なほどに、上がっていく。高専の知識だけでは不完全だった。

いかなる仕事もそうだが、学校や資格の知識だけで、どうにもできないのだ。それらは出来栄えがよくとも見本にすぎず、現実に適用するには改めて知識を拾い直し、つくりなおさなければならない。

だから、IT仕事のたびに不必要なレベルで知識を詰め込み、現場に飛び込み、プロジェクト完遂に向けてがむしゃらに作り変え続けるしかなかった。自分の無力さに嘆きながら、走り続けてきた日々だった。

それでもなぜか、ぼやく僕にみんなは微笑むだけだった。その意味に、僕は当時あまりわからずにいた。

それでKindleでいくつか技術書を買って読み進めるわけだが、いつものように読み飽きた。成績不良者にとって、ITが何を言っているのかすらもさっぱりわからないことなど、日常茶飯事だったからだ。

そんな折に、ヒロアカもKindleで購入し、読み始めた。
そこでようやく、妹たちが言おうとしていたことを理解した。

力がない、この作中では無個性、といわれる主人子である緑谷出久ことデクくんだが、個性があるかないかではなく、目の前で「救けを求める顔してた」から同級生で、優れた個性を持ちながらいじめてきた爆豪勝己ことかっちゃんのもとへ向かう。

敵《ヴィラン》に呑まれ、爆発によって危険地帯となっている場所であったとしても。

そんな様子に、ITなんでも屋として無謀にも飛び込み続ける僕は、どこか重なるところを感じた。

僕はもともと誰を助けようとか考えてすらいなかった。ただ、役目を果たして定時で帰って、執筆に戻りたかっただけだ。それでも、ふと考えてみれば仕事を果たすことで救えるものがあったのも事実だ。

仕事のさらなる遅延は回避でき、プロジェクトの火消し要員も不要、何よりもこれ以上みんながつらい思いをせずに済む。

そうして僕がなんとかできたところの人たちが、僕のぼやきに微笑んでいたのだ。

ヒロアカから、そうして自分が何も考えずに走り続けてきたことの意味を、見出しはじめていた。そこから、僕はヒロアカの世界に突入していく。

力が使えても、ヒーローではなかったかもしれない時間

ヒロアカを知ってから一年間、アニメと単行本を通してヒロアカを知っていく。

その頃にはITなんでも屋としてはかなり望ましい、ソフトもハードもネットワークも開発・運用が不完全ながらも可能な領域に入りかけていた。デクくんのフルカウルみたいな調子だ。もしくは、未成熟なオールフォーワンとでも言うべきか。

必要なアプリは開発・構築ができ、運用にまでコードを流し込める……つまり、一人でwebサービス屋として創業可能になりかけていた頃でもある。

そうして能力としては成熟してきていたにも関わらず、オールマイトがオールフォーワンと戦っていたとしても、それで僕ができた人間になれるわけもなかった。

炎上し、手の打ちようのないプロジェクト。
会社や自分の将来ばかりに目がいき、いまある世界……システムやそのユーザーたちを守る、という会社や自分の今から目を背ける人たち。
目を背け不満を抱えきれず、去っていく先輩や同期たち。

僕はそれらをただ見ていることしかできず、ただ、去っていく人たちの代わりになれるよう頼まれた仕事をなんとかこなすことだけで必死だったのだ。

能力がどれだけ増えようとも、共感して、手を差し伸べる方法はないように思えた。

その頃の僕も、よりよい給与を求めてAmazon AWSかMicrosoft Azureのクラウドサポートチームにでも行こうか、と思っていた頃でもあり、実際にそういう転職活動もしてきた。

それでも会社に留まることを選んだのは、ひとりの学生時代の友人を、この会社に入れることにしたから、というだけだった。

やってきた同僚とヒーローインターンのように走り続ける日々

その友人は、学生時代にPixivで上がっていた僕の小説に意見をくれた、ラノベを書く別の学校の文芸部だった。

紆余曲折あってたまたま会話をしていて、IT出身でなくとも仕事が山ほどあるうちの会社で採用ができるかもしれない、と案内してしまったのだ。

その友人は無事入社し、今も会社の同僚なわけだが、彼が来てから再び小説をつくりなおす話題になり、それを果たすことになった。

作家仲間になってくれた友人だが、会社にもお客さんとしてきてもらったわけじゃない。同僚としてきてもらった。

かといって、会社や自分の将来ばかりに目がいき、いまある世界……システムやそのユーザーたちを守る、という会社と自分の今から目を背ける人たちのようになってほしくはなかった。

愚痴もいいけど、手を動かして人を納得させてのエンジニアのはずだからだ。

ふと、ヒロアカでオールマイトがデクくんに修行をしている日々を思い出した。僕自身もIT何でも屋を3年だけでもしてきたわけだから、僕自身から引き継げるものはあるかもしれない。

その同僚に、IT技術を含むすべてを3年未満で出し惜しみなしで覚えてもらった。ひとりでサーバー実装方法を漁ったり、フルカウルできるくらいのレベルだ。

Google検索をはじめとする現代の膨大なIT技術情報を使えば可能だと踏んだし、実際それで独学で習得した人の話も、僕よりずっと若くてもうまく開発できる人たちの話も、ネット上ではたくさん言及されてきた。

かといって、ITエンジニア向けのカリキュラムがあるわけでもない。

基本情報技術者やベンダ資格なんかはわかりやすい指標だったけど、それを持っていながらシステムやそのユーザーたちを守ろうとしない人たちのほうが多いように思えた。

一時的なテスト勉強の結果で一生能力を偽っているようにすら見えてしまうほどに。

自分の手で開発し、運用のなかで信頼を勝ち取れるようになったほうがいいと考えたし、同僚にもそうであってほしいと思った。

たどり着いたのは、ヒーローインターンのような実践の繰り返しだった。

エンデヴァーと一緒にヒーロー活動に走り続けてもらうように、僕といっしょに未知の開発・運用に挑む。時折同僚が疑問をもったプロセスに一緒に悩む。そんな日々だ。

そもそも、現代IT開発・運用の起源である業務用冷蔵庫サイズのUnix自体が1969年から存在している。半世紀も経過して、iPhoneになり、PS5になり、おそらくnoteサーバーを動かしているLinuxができている。

半世紀の技術の蓄積から考慮して、プロセスを踏むのもいいが、むしろ結果を求める短いステップが望ましい。プロセスを踏むのは、自分自身が疑問を持ってからでよかった。

プロセスへの疑問自体に、個性が宿るのだと思う。デクくんが、目の前にいる相手の心に疑問を抱いて、戦いの中でなお手を伸ばしてきたみたいに。

プロセスを踏むのではなく、あえて結果を求め、失敗した時にどの部分で失敗したのかを確認し、やり直す日々が続いた。それは僕も同様で、いっしょに弱音を吐きながら、開発と運用に明け暮れた。

その取り組みはヒロアカから発案できたかどうかはわからない。けれど、明らかにヒロアカから影響を受けていた。

もうひとつの「僕のヒーローアカデミア」

数年経過した現在も、同僚はその渦中に居続けている。むしろ運用面で僕よりも会社の中で信頼を勝ち取るに至り、いまでは会社で不可欠な存在だ。彼はもう立派にエンデヴァーの立ち回りをしている。

同僚はエンデヴァーがどうも嫌いなようだけど、人を助けようとしてるのだから、十分立派だと思う。その道も選べなかった人たちを、レディ・ナガンに狩られそうな人たちを、僕はもう散々知っているから。

かくいう僕は、無力なITなんでも屋として、開発したり構築したシステムをてこにして、監視を含むヒーロー活動の土台を作り続けてきた。

さらにその土台を使っていろんな業務を引き継いだ……つもりが、見えるものが増えて新たに業務を増やしてしまったりで四苦八苦している。いまある世界……システムやそのユーザーたちを守るためには仕方がないのかもしれない。

そうしてITシステムの開発と運用を広げていく傍ら、僕は毎年新卒として増えていく同僚たちと、いろんな会話をした。そのなかにはヒロアカも含まれていた。

ヒロアカの話は、僕らの会話の中ではわずかでしかなくとも、僕らを繋いでくれた。

「オープンソースソフトウェアっていうのは、つまりはワンフォーオールなんだ。使い方を間違えると体が爆発四散する」

「頼むよ マイヒーロー、と初代ワンフォーオールの与一(cv. 保志総一朗)みたいに言えたら、僕ももうIT開発や運用をせずに済むかもね」

そういった冗談で同僚が笑ってくれる。

こんな伝わりそうもない他愛のない会話のひとつひとつをさらにプロセスを見直し、手を変え品を変え、さまざまな会話を生み出す。

そうして会話の中で安心してもらうことが、いまある世界……システムやそのユーザーたちを守るためには重要だった。

様々な試行錯誤の中で、僕は共感とはなんなのかを理解し始めていた。

共感とは、適当に相槌をうつことでも、相手の心理を言い当てようとすることでも、気の利いたことを言うことでもない。
隣に居続けても、許してもらえるようになることなのかもしれない。

こうして数年でさまざまな紆余曲折を経て、同僚と走ってきた結果は会社のインターンプログラムになり、会社のさまざまな同僚たち向けの教育コンテンツやITシステムとなり、それらは同僚たちの手でさらに改良され、運用されている。

図らずも、いま僕のいるこの場所は、デクくんの語るものとは違う形での「僕のヒーローアカデミア」になりつつある。

だが、これはあくまで雇われた会社の上につくられた、空想の学校だ。
少しずつ風化していき、地震のたびに基礎が壊れて、やがて雪崩のように崩れ、今ある世界を守ることを、みんな忘れてしまうだろう。

そうならないようにするために、会社以外の場所で、僕は試行錯誤を続けてきた。

いくつかのフィクションをつくってきた。

絵も描き続けてきた。

このnoteで記事も書いてきた。

だが、やるべきことが残されていた。

ヒロアカを教えてくれた妹たちに、お礼をすることだった。

実家への帰還

無力なITなんでも屋として会社員になってしまって数年。ふと実家に帰ったときのことだ。

妹の一人は実家を出ていて、もうひとりの妹が、ひたすら原神を続けていた。たしかその時は聖遺物周回をしていた。

妹はしきりに「原神はいいぞ」と勧めてきた。

このときの僕は、人から勧めてもらった作品をやる習慣が身についてなかった。けれど、勇気をもって踏み込むことにした。

そうして今度は原神、スターレイル、ゼンゼロ、つまりホヨバースの世界に旅立つことになるのだが、それは別の話だ。

時折実家に顔を出すようにしたのも、もともとはいろいろな妹たちの悩みに気の利いたことを言いにいかないと、とか考えていた時もあったが、この一年でそれは決して大切なことではなかったと腑に落ちた。

会話の中で安心してもらうことが、いまある世界……システムやそのユーザーたちを守るためには重要だと、漫画と会社というふたつの「僕のヒーローアカデミア」で理解したからだと思う。

ひとりの妹は、今日もいろいろ進路に悩んではいても、自分なりに大学成績トップになるほどの勉学と原神とスターレイルとインスタ擬態に邁進している。

もうひとりの妹も、転職しようか悩んではいても、いまはもう結婚して、夫と巨大なあざらしのぬいぐるみ、しろたんと共に楽しそうに暮らしている。

僕がなにか気の利いたことをする必要など、どこにもないのだ。

それでも、ヒロアカによって僕にどんな機会がもたらされたのか、伝えてはいない。ヒロアカの感想が書けないと、ぼやいてきたからだ。

今週末、妹たちと出かけることになる。
その時には、この感想の一部でも伝えることができるだろう。

こうして僕に何度も会話する機会をくれたこと。
それが、ヒロアカが僕にくれた機会だったのかもしれない。


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