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『万葉集』巻第10-1812 ~ 柿本人麻呂歌集から
訓読
ひさかたの天(あま)の香具山(かぐやま)このゆふへ霞(かすみ)たなびく春立つらしも
意味
天の香具山に、この夕暮れ、霞がたなびいている。どうやら、春になったらしいな。
鑑賞
巻第10の冒頭にある「春の雑歌」。「ひさかたの」は「天」の枕詞。「天の」は香具山を称えて添える語で、慣用されているものです。香具山は、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)とともに大和三山の一つ。「春立つらしも」の「らし」は根拠に基づく推定、「も」は詠嘆。なお、この歌を本歌として、『新古今集』に「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山かすみたなびく」(巻第1-2、後鳥羽上皇)という歌があります。
斉藤茂吉によれば、「この歌はあるいは人麿自身の作かも知れない。人麿の作とすれば少し楽に作っているようだが、極めて自然で、佶屈でなく、人心を引き入れるところがあるので、有名にもなり、後世の歌の本歌ともなった」。また、詩人の大岡信は、「いかにも人麻呂の作らしい、ゆったりした快い声調の歌であり、巻頭(巻第10)に置くにはまことにふさわしい歌といえる」と述べています。
さらに、国文学者の池田彌三郎は、「この歌で、『このゆふべ』と、作者が展望している『時』をはっきりと言い出し、指定していることは、この叙景歌に特に生命を与えている。しかし、この言い方は多くの追随者を生んで、だんだん『この』が際どくなってきて、暦の上で春が来た『この』日、というような興味に堕していってしまう。あとに続く同類の歌のために、鑑賞を妨げられ、価値を減殺されることは致し方がないが、それはこの歌の責任ではない」とも述べています。
なお、『万葉集』には、春の到来や秋の到来を「春立つ」「秋立つ」と表現する歌が散見されます。これらは二十四節気の「立春」「立秋」から来ているともいわれますが、しかし「立夏」「立冬」に対応するはずの「夏立つ」「冬立つ」の表現は見られません。「立つ」とは、神的・霊的なものが目に見える形で現れ出ることを意味する言葉であることから、農耕生活にもっとも大切な季節とされた春と秋が、そうした霊威の現れとして意識されていたと窺えます。
大和三山
大和三山(やまとさんざん)は、大和平野の南部、橿原市に位置する3体の山をいい、平成17年(2005年)に国の名勝に指定されました。
香具山(かぐやま)
標高152m
畝傍山(うねびやま)
標高199m
耳成山(みみなしやま)
標高140m
三山のうちもっとも神聖視されているのが香具山で、「天の」を冠するのは、天から降り来たという伝説によっていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめられたとも考えられています。この大和三山に囲まれるように、日本で初めて本格的な都となった藤原京の藤原宮跡があります。
『柿本人麻呂歌集』について
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。
ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。
文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。
また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。