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『万葉集』巻第14-3404 ~ 東歌

訓読

上つ毛野(かみつけの)安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ

意味

上野の安蘇の群れ立つ麻、その麻を束ねてかかえるようにしっかりと抱いて寝るけれど、それでもまだ満たされない、私はどうしたらいいのか。

鑑賞

 上2句は「かき抱き」を導く序詞。「安蘇」は、下毛野の郡名。「真麻群」は、麻の群生。高さが2メートルにも及ぶ麻を収穫するときは、一抱えを両手で胸に抱き、後ろに反り返るようにして引き抜きます。そのようすを女性を抱擁する姿にたとえ、いくら抱いても満たされないとノロけている歌ですが、実際は、麻の収穫時に題材をとった労働歌とみられています。「あどか」は、いかが、どうしたら、の意の東国なまり。

 いずれにしても、「寝」という直接的な描写を用い、性愛の歓びをここまであけすけに表現した例は、中央の歌には見られません。このような歌は東歌の中には少なくなく、東国の異なる風俗(性風俗)を一種のエキゾチシズムとして都人に伝えようとする意図があったのかもしれません。言い換えると、中央の人々から見た東国理解のあり方が察せられるようでもあります。

 窪田空穂はこの歌を、「言いやすいようで言い難い感情を、素朴に、健康に、厭味なくあらわしている」と評しており、田辺聖子は、「こうずばっと歌いきってしまわれると、近代人は、しんそこ『まいった』と思う」とも述べています。ところでこの歌は、ひらがなで書くとよくわかりますが、「かみつけの あそのまそむら かきむだき ぬれどあかぬを あどかあがせむ」と、似た音が繰り返し使われていて、一種の言葉遊びのようになっています。まさに『万葉集』のユーモア精神ここにあり!というような歌でもあります。


東歌について

 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。国名のわかる歌とわからない歌(未勘国歌)に大別し、それぞれを雑歌・相聞歌・譬喩歌などの部立ごとに分類しています。国名のわかる歌は、それぞれの部立ごとに、まず東海道諸国を都から近い順に配列し、そのあとに東山道諸国を同様の順に配列するという構成になっています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。
 
 もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(5・7・5・7・7)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。もともとの作者は、国司など都の官人たちと繋がりのあった豪族階級の人たちで、都の人たちが歌を作っているのを模倣したのが始まりだろうとされます。
 

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