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『万葉集』巻第3-395・396・397 ~ 笠郎女の歌

訓読

395
託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり
396
陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを
397
奥山(おくやま)の岩本菅(いはもとすげ)を根(ね)深めて結びし心忘れかねつも

意味
〈395〉託馬野(つくまの)に生い茂る紫草で着物を染めて、未だに着ていないのに、もう紫の色が人目に立ってしまいました。
 
〈396〉陸奥(みちのく)の真野の草原は、遠いけれど面影としてはっきり見えるというのに、近くにいるはずのあなたはどうして見えてくれないのでしょうか。
 
〈397〉山奥の岩かげに生えている菅草の根のように、ねんごろに契り合ったあの時の気持ちは、忘れようにも忘れられません。

鑑賞

 笠郎女(かさのいらつめ:笠女郎とも)は、大伴家持が若かったころの愛人の一人で、宮廷歌人・笠金村の縁者かともいわれますが、生没年も未詳です。金村はそれほど地位の高い官人ではなかったため、郎女も低い身分で宮廷に仕えていたのでしょう。二人が関係に至った経緯は不明ですが、名門のエリートだった家持とは身分の隔たりがありました。郎女の歌は『 万葉集』には29首が収められており、女性の歌では大伴坂上郎女に次ぐ2番目の多さです。そのすべてが家持に贈った歌ですが、時間的推移がみられ、一どきにではなく、ある程度の期間にわたって贈ったもののようです。いずれの歌も、片思いに苦しみ、思いあまった恋情が率直に歌われています。
 
 395の「託馬野」は所在未詳ながら、「つくまの」と訓んで、現在の滋賀県米原町筑摩あたりとする説や、「たくまの」と訓んで、肥後国託麻郡(現在の熊本市東部)の地とする説などがあります。「紫草」は、根を乾かして染料とした野草で、「託馬野に生ふる紫草」を家持に譬えています。「着る」は契りを結ぶことの喩えで、約束だけで、まだ共寝もしていないのに顔色にあらわれてしまった、と言っています。

 396の「真野」は、福島県南相馬市の真野川流域で歌枕とされた地。陸奥の真野の草原を、家持に喩えています。395と同じく遠い地を家持に譬えているのは、なかなか逢うことができない相手を恨む気持ちからのことと思われます。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。397の上3句は「結びし」を導く序詞。「根深めて」は、深い根のように深く心を込めて、の意で、深く契りを交わすことの喩え。
 
 なお、明治の文豪・森鴎外が主宰した「新声社」同人による訳詩集『於母影(おもかげ)』は、笠郎女の396の歌が題名の典拠となったといわれます。鴎外はドイツ留学中にエリーゼという女性と恋に落ち、結婚を考えるようになったものの、周囲から反対されて別れています。鴎外を追ってはるばる日本にやって来た彼女は、追い返される破目になり、その失意のほどはいかばかりであったでしょう。鴎外が笠郎女のこの歌に接した時、彼の脳裏に浮かんだのは、遠くドイツにいるエリーゼの面影だったかもしれません。

 397の「岩本菅」は、岩の本に生えている菅。笠などにする湿地の菅とは異なり、山地に生える山菅(ヤブランともいう)のこと。「奥山の岩本菅を根深めて」は、家持に対する深い恋情を具象的に言ったもので、比喩に近い序詞。窪田空穂は、「気分だけをいったものであるが、技巧の力によって、軽くなりやすいものを重からしめているもので、才情を思わしめる歌である」と述べています。ここの3首は見事なまとまりをもって作られており、「恋の始まり」を表現する譬喩歌と捉えられています。しかし、それぞれの地名に付随する自然が、「野」「草原」「奥山」とだんだん遠ざかっており、早くも報われない恋を予感させるものになっています。


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