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漢詩を読む ~『初春宴に侍す』

原文

寛政情既遠
迪古道惟新
穆々四門客
済々三徳人
梅雪乱残岸
煙霞接早春
共遊聖主澤
同賀撃壌仁

書き下し文

寛政(かんせい)の情(こころ)既(すで)に遠く
迪古(てきこ)道(みち)惟(こ)れ新(あらた)し
穆々(ぼくぼく)四門の客(まらひと)
済々(せいせい)たる三徳の人
梅雪(ばいせつ)残岸に乱れ
煙霞(えんか)早春に接(つらら)く
共に遊ぶ聖主の澤(たく)
同じく賀(ほ)く撃壌(げきじょう)の仁(じん)

 寛大にされた天皇の恵みの情はすでに遠い昔から続き、古い仕来りを踏襲する政治の方法はかえって新しい。四方の門から入ってくる美しく立派な姿の賓客、威儀を整えた三徳の人たちが春の宴会に参列する。雪に見紛う梅の花は池の岸辺に乱れ散り、木々にかかる靄(もや)は早春に連なっている。これらの客人らは共に天皇の素晴らしい恩恵にあずかり、我々は一緒になって尭帝の時の老人のように楽器を撃って天皇の政治を言祝ぐことである。

説明

 大伴旅人(おおとものたびと)が初春に行われた公宴に侍して詠んだ詩。聖武天皇の仁心と善政の永続性を讃え、群臣がその恩沢に浴して、太平の世の仁政を慶賀するものです。大納言として群臣を代表して天皇の恵みを称揚し、君臣和楽を謳歌するという、応詔詩としての儀礼的な色合いは否めませんが、形式に則って天子頌徳の至情を精一杯尽くそうと努めています。全ての句が対句仕立てとなっており、中国の古典を踏まえ、旅人の熟考した高い文章力が認められます。
 
 五言律詩。「新・人・春・仁」で韻を踏んでいます。〈寛政〉は寛大な政治。天子の恵みをいう。厳しい決まりや刑罰を緩やかにすることを指す。〈既遠〉はすでに遠くから続くこと。〈迪古〉は古の徳を踏襲すること。〈道〉は政道。〈惟新〉は世が改まったこと。周の文王・武王の殷を平定した革命を示唆する。〈穆々〉はうやうやしいこと。〈四門客〉は四方から来た客人。〈済々〉は威儀があり盛んなさま。〈三徳人〉は智・仁・勇の三つの徳を備えた人。〈梅雪〉は白梅を雪に喩えての表現。〈煙霞〉は靄(もや)のこと。〈聖主〉は優れた主人。〈澤〉は恩沢、恩恵。〈同賀〉は同じく言祝ぐこと。〈撃壌仁〉は尭帝の時代に老人が楽器の壌を打って尭の仁徳を褒め称えた故事。

 なお、『万葉集』の「梅花の歌」の歌群にある旅人の歌に、「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」(巻第5-822)があり、この詩と同様の趣向になっています。
 

大伴旅人(おおとものたびと)
日本の飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿・歌人(665~731年)。大納言・大伴安麻呂(やすまろ)の長男で、家持・書持らの父、坂上郎女の異母兄。征隼人持節使(せいはやとじせつし)、太宰帥(だざいのそち:大宰府の長官)を経て、従二位・大納言。大宰府時代に山上憶良らの詩歌の交流をし、筑紫歌壇を形成。 漢詩・和歌は『懐風藻』『万葉集』に収載。『万葉集』には長歌1首、短歌76首(異説あり)を残す。
 

律 詩
 唐代に確立された近体詩のうち、律詩とは、一編が八句(八行)からなる詩で、各句が五文字の「五言律詩」と各句が七文字の「七言律詩」がある。初めから 2句ずつをまとめ、首聯、頷聯、頸聯、尾聯と呼ぶ。ほかに十句、十二句からなる俳律もある。
 律詩には「対句」のルールがあり、形や意味のうえで似ている二つの句を連続して配置する。字数が同じで、文法上の構成が同じとき、その二つの句の関係を「対句」という。第三句と第四句、第五句と第六句が対句となる。
 

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