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『万葉集』巻第12-2951 ~ 作者未詳歌

訓読

海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に立ち平(なら)し結びし紐(ひも)を解(と)かまく惜しも

意味

あの海石榴市の里の道のたくさん交わる辻で、あちこち歩き回り出逢ったあの人が、結んでくれた紐を解くのは、あまりに惜しいことだ。

鑑賞

 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「海石榴市」は、奈良県桜井市金屋にあったとされる市場です。古代の市場は樹木との関係が深く、海石榴(つばき)は山茶花(さざんか)のことです。市は、山人がやって来て鎮魂していく所でもあり、その山人が携えてきた杖が、おそらく山茶花の杖だったのでしょう。

 また、市は歌垣(かがい)が行われる所でもありました。つまり、ここに集まった男女が、好む相手を見つけて乱交したわけです。できあがったカップルは他国や別の村の男女どうしであり、別れるときに相手が結んでくれた紐は、それぞれの血筋で独特の結び方があって、それを解くのが惜しいという気持ちを歌っています。

 「八十の」は、多くの。「衢」は、幾筋もの道が分かれる所。チ(道)マタ(股)の意。「立ち平し」は、平らにし。大勢の男女が地を踏みつけて平らにしたことを言っています。「解かまく」は「解かむ」の名詞形。「惜しも」は、惜しいことよ。
 

歌垣について

 歌垣(うたがき)は、記紀万葉の時代、特定の日時に、山、磯、市(いち)などに男女が集まって、飲食や舞踏をしたり、掛け合いで歌を歌ったりして性的解放を行なった行事のこと。東国では「嬥歌(かがい)」とも言い、もともとは、国見と結びついた農耕儀礼として始まったとされます。語源は「歌掛き(懸き)」と考えられ、また東国の「嬥歌(かがい)」も「懸け合い」であると考えられており、古代の言霊信仰の観点からは、ことばうたの掛け合いにより、呪的言霊の強い側が歌い勝って相手を支配し、歌い負けた側は相手に服従したのだ、と説かれます。

 歌垣が行われた場所は、他国や他村との境界性を帯びた地が多く、常陸筑波山、常陸童子女松原、肥前杵島岳、摂津歌垣山、大和海石榴市、大和軽市などが知られています。貴族社会では歌舞だけが独立して芸能化し、奈良時代末期には中国から移入した踏歌(とうか)に取って代られることになりましたが、民間では後代にいたるまで存続しました。ただ、時代とともに農耕儀礼や呪的信仰の性格は薄れ、もっぱら未婚者のための求婚行事となっていき、特に都市部の市ではその傾向を強めています。

 また、より後には遊楽化され、それらが、今日の民俗行事である野遊び、山遊び、花見、潮干狩りなどにつながっています。もっとも、上代のような露骨な「性の解放」の要素はなくなっています。
 

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