『万葉集』巻第2-91・92 ~ 天智天皇と鏡王女の歌
訓読
91
妹(いも)が家も継(つ)ぎて見ましを大和なる大島の嶺(ね)に家もあらましを
92
秋山の樹(こ)の下隠(したがく)り逝(ゆ)く水のわれこそ増さめ思ほすよりは
意味
〈91〉逢えないのなら、せめてあなたの家をいつでも見ることができたらなあ。大和の大島の山の頂に私の家があったらよかったのに。そこからだと、いつでもあなたの家を見られるから。
〈92〉秋の山の樹の下を隠れて流れる水が、秋にはうんと水かさを増すように、私のほうがずっとあなたを思っています。あなたが私を思ってくださるよりは。
鑑賞
91は、天智天皇が鏡王女(かがみのおおきみ)に贈った歌、92は、鏡王女がお答えした歌。『 万葉集』に数多く収められている相聞歌のうち、男女の歌が一対になるという本来の相聞歌としては、全巻で最初に登場するものです。鏡王女は額田王の姉とされ、はじめ天智天皇の妃でしたが、後に大化の改新の功労者である藤原鎌足の正妻となり、次代の権力者となった不比等を生みます(後世の創作であるとする説も)。ここの歌が詠まれたのは、まだ王女と鎌足との関係もなかった時期とされますが、天皇と王女の関係を窺わせるものはこの贈答歌のみで、他にはありません。
91の「妹が家」すなわち鏡王女の家の所在は、はっきりしませんが、奈良県生駒郡平群町、三郷町あたりだろうと想像されています。「大島の嶺」は、大和国内の山ながら所在未詳。92の「 秋山の樹の下隠り逝く水の」は、「増さ」を導く序詞。「思ほす」は「思ふ」の尊敬語。天皇が「山の頂」を詠んでいるのに対し、王女は「山の谷底」を比喩にして詠んでいます。男女間の相聞は、贈歌に対して答歌は揶揄や言い返しをするのがふつうで、それは善意からくるものであり、また言葉遊びのようにも見え、そういう歌を「女歌」といいます。
王女の答歌には一見その趣がありませんが、よくよく読み解くと、「いくら山の上から見下ろしたところで、秋山の樹々に覆われた水の流れが見えるはずはありません(私の思いなど決して分かるはずがありません)」と、機知に富む巧みな切り返しになっているのが分かります。また、思いの深さで相手に勝つことをいうのは、自身の愛の強い表白に他なりません。天皇の情愛深い御製にすがっての思慕の情の訴えであり、天皇と王女との関係の濃厚さが窺えます。
ただ、この歌が詠まれた場所がはっきりせず、天智天皇の歌に「大和なる(大和にある、のつづまった形)」とあるため、大和の内部ではなく外部から大和を思ってうたったとみて、皇太子時代の難波宮での作ではないかとする説があります。およそ21歳から27歳のころで、その時期に大和に住む鏡王女のことを思いやった歌だとされます。しかし、題詞には「天皇」とあり、皇太子時代の「中大兄」とは記されていません。そこから、この歌は近江宮での作だとする説も出てきており、確定するのはなかなか難しいようです。
なお、余談になりますが、藤原氏繁栄の礎を築いた藤原不比等は、鎌足の次男とされています。しかし、皇族中心の政治の中枢にあって、その成功ぶり、出世ぶりは尋常ではありません。そこでウワサされたのが、不比等は実は天智天皇の御落胤であるというもの。しかも、『大鏡』には次のような記述があるのです。「天智天皇は鎌足をたいそう気に入り、自分が目をかけた娘をひとり下げ渡された。その娘は天皇の胤を宿しており、天皇は鎌足に『男なら鎌足の子とせよ。女ならわが子としよう』とお約束された。そして生まれたのが男だったため、鎌足の子とされた。(中略)天皇の皇子である方は右大臣にまでなられた。藤原不比等の大臣でいらっしゃる」