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『万葉集』巻第7-1411 ~ 作者未詳歌

訓読

幸(さきは)ひのいかなる人か黒髪(くろかみ)の白くなるまで妹(いも)が音(こゑ)を聞く

意味

自分は恋しい妻をもう亡くしたが、白髪になるまで二人とも健やかで、妻の声を聞くことができる人は何と幸せな人だろう、うらやましいことだ。

鑑賞

 「挽歌」の中にある歌ですが、直接に妻の死を悲しんでいるのではなく、共白髪で年老いた幸せな夫婦を羨むかたちで、亡き妻を哀惜しています。中国の『詩経』に由来する「偕老洞穴」という言葉がありますが、それが夫婦にとって至福のこととして言っています。若いころには何も思わなくとも、老齢にさしかかって初めてしみじみと共感できる歌であり、また、妻に先立たれた高齢男性にとっては、まことに胸の痛む歌ではないでしょうか。幸福の価値は、失ってからでないと分からないのかもしれません。

 作家の田辺聖子は、「歌のしらべとしてはごつごつとして野暮ったいが、我々はそこに真率な、りちぎな男の、埋められぬ悲哀と空虚を見る」と言い、斎藤茂吉は、結句の「声を聞く」の「聞く」だけで詠歎の響があると言っています。
 

作者未詳歌
 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。
 

万葉歌の英訳

  • 春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山(巻第1-28 持統天皇)
    Spring has passed, and summer's white robes air on the slopes of fragrant Mount Kagu-beloved of the gods.

  • わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも(巻第5-822 大伴旅人)
    Plum-blossoms scatter on my garden floor. Are they snow-flakes whirling down from the sky?

  • 世のなかを憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(巻第5-893 山上憶良)
    In this sad world I feel small and miserable, but I cannot fly away as I am not a bird.

  • 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ(巻第7-1068 『柿本人麻呂歌集』)
    Cloud waves rise in the sea of heaven. The moon is a boat that rows till it hides in a wood of stars.

  • 海原の沖辺に灯し漁る火は明かして灯せ大和島見む(巻第15-3648 遣新羅使)
    In the shoals of the vast sea brighten the lights the fishermen use for fishing, as I so long to see the Yamato mountains of my home.

  • 新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事(巻第20-4516 大伴家持)
    On this New Year's Day which falls on the first day of spring, like the snow that also falls today, may all good things pile up and up without pause or end.
     ~翻訳者:ピーター・マクミラン


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