見出し画像

漢詩を読む ~『遊子吟』

原文

慈母手中線
遊子身上衣
臨行密密縫
意恐遅遅帰
誰言寸草心
報得三春暉

書き下し文

慈母(じぼ)手中(しゅちゅう)の線(せん)
遊子(ゆうし)身上(しんじょう)の衣(い)
行(こう)に臨(のぞ)んで密密(みつみつ)に縫(ぬ)う
意(い)は恐(おそ)る遅遅(ちち)として帰らんことを
誰(たれ)か言う 寸草(すんそう)の心(こころ)
三春(さんしゅん)の暉(ひかり)に報(むく)い得(え)んと

 慈悲深い母は、旅立つ息子のために糸を手にして着物を縫ってくれた。出発が近づくと、一針一針ていねいに縫いながらも、心の中では、息子がいつになったら帰ってくるのかと案じていたに違いない。子のちっぽけな心では、あたたかい春の日差しのように育ててくれた母の恩には、とうてい報いることはできない。だれが報えるなどと言うのか。

説明

 作者の孟郊(もうこう)は、なかなか科挙に合格できず、46歳でようやく合格したものの、官吏としては不遇でした。この詩はようやく任官がかなった孟郊が、任地に老母を呼び寄せたときの作とされます。とうに中年を過ぎた息子の、心配と苦労をかけ続けてきた母親へのせめてもの孝心と感謝の念がうかがえる詩です。第1・2句が対句となっており、ここの部分だけで、息子のために丹念に着物を仕立てている母親の姿が目に浮かんできます。
 
 五言古詩。「衣・帰・暉」で韻を踏んでいます。〈遊子吟〉は楽府題で、故郷を離れている者の歌の意。「遊子」は旅人、故郷を離れて遊学する人。「吟」は歌という意味。〈線〉は糸。〈臨行〉は出発に際して。〈密密〉は細やかなさま、一針一針丹念に。〈意恐〉は心の中で心配していること。〈寸草心〉は一寸の短い草のように小さな心、子の心。〈報得〉は~に報いる。〈三春暉〉の三春は孟春・仲春・季春の三つの時季(陰暦で一月、二月、三月)で、春の暖かい日の光。母の愛情にたとえています。
 

孟郊(もうこう)
中唐の詩人(751年~814年)。 狷介な性分で、若いころは嵩山に隠棲、40歳を過ぎて科挙に応じ、50歳で初めて溧陽(りつよう)の尉に任ぜられたが、やがて辞任。後に洛陽で職を得たこともあったが、生涯を不遇に過ごした。
人付き合いは悪かったものの、韓愈とは親交を結び、自分が20歳近く年長でありながら韓愈に師事した。
 

唐の時代
 疲弊しきった隋に代わり、618年に李氏によって建国された唐は、家柄に関係なく優秀な人材を登用し、農業振興・財政再建に努めた。帝室は14世代20代を数え、とくに太宗の貞観の治・玄宗の開元の治によって国力は充実、人口も飛躍的に増加して隆盛期を迎えた。 
しかし、辺境防衛の任に当たっていた節度使がやがて地方軍閥化し、755年に安史の乱が起こった。反乱はウイグルなどの協力などによって鎮圧されたが、その後は各地の節度使の台頭、中央での宦官と官僚の争いなどが続いた。 
 それでも唐は南方の穀倉地帯を抑えていたため、その支配はなお1世紀も続けることができた。しかし907年、節度使として勢力をのばした朱全忠によって唐は滅亡、五代十国の分裂状態となった。
 

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集