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『万葉集』巻第11-2408 ~柿本人麻呂歌集から

訓読

眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待つらむかいつかも見むと思へる我(わ)れを

意味

眉を掻き、くしゃみをし、紐も解けて待ってくれているだろうか、いつ逢えるのかと苦しんでいる私のことを。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「眉根」の「根」は、接尾語。「鼻ひ」はくしゃみが出ること。「紐」は、下着の紐。「眉根掻き鼻ひ紐解け」の、眉がかゆい、くしゃみが出る、下紐が自然にほどける、の3つの現象は、恋人に逢える前兆とされました。ちなみに、なぜ眉がかゆいと恋人に逢える前兆とされたのかは、中国古典の恋愛文学『遊仙窟(ゆうせんくつ)』に「昨夜根眼皮瞤 今朝見好人(昨夜、目の上がかゆかった、すると今朝あの人に会えた)」という一文があり、その影響ではないかといわれます。「いつかも見む」は、いつになったら逢えるのだろうか。
 

『遊仙窟』

 中国、初唐時代に、流行詩人の張鷟(ちょうさく)、字(あざな)は文成、によって書かれた恋愛伝奇小説。筋書は、作者と同名の「張文成」なる人物が、黄河上流の河源に使者となって行ったとき、神仙の岩窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と兄嫁の王五嫂(おうごそう)の二人の戦争未亡人に一夜の歓待を受け、翌朝名残を惜しんで別れるというもの。その間に84首の贈答を主とする詩が挿入されている。

 本書は中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来し、『 万葉集』の、大伴家持が坂上大嬢に贈った歌のなかにその影響があり、山上憶良の『沈痾自哀文(ちんあじあいのぶん)』などにも引用されている。その他、『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『唐物語』『宝物集』などにも引用され、江戸時代の滑稽本や洒落本にも影響を与えた。
 

『万葉集』以前の歌集

  • 古歌集』または『古集
     これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

  • 柿本人麻呂歌集
     人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

  • 類聚歌林(るいじゅうかりん)』
     山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

  • 笠金村歌集
     おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

  • 高橋虫麻呂歌集
     おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

  • 田辺福麻呂歌集
     おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
     
     なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。

 

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