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自分より怒っている人をみると我に帰る


めちゃくちゃ腹立つ事あっても、自分以上に他の誰かがキレてたら「スッ」となります。


2023年10月3日の凡人です。


今日は「怒り」の感情について考えたいと思います。

生きてれば、腹立つ事って山のようにありますよね。

「怒り」の感情スイッチは人それぞれで、そんなことで怒る?と思うことでも人によっては沸点の可能性があります。

人それぞれ事象によって沸点が違うものの、ほとんどの人が「怒り」は心に留め怪訝そうな表情はするものの口に出すことはありません。

もし、電車の中で学生が騒いでいて、それにキレ散らかしている人を目撃したとする。その人がどれだけ真っ当な理由で怒っていたとしても「えぇ…そんなに怒る?」と冷めた目線で見られてしまいます。

電車の中で騒がれてこっちとしても、言葉にはしないものの「怒り」の感情を持っていたはずです。

しかし、人は自分の「怒り」の感情よりも、さらに高いテンションで怒っている人を見ると「スッ」と我に返ってしまいます。


身近な事で言うと、ムカつく事があって友人に「こんな事があってさ!」と「怒り」の情報共有をするとします。
そんな時に、その友人が自分よりも高いテンションで「そいつは許せねぇ!!!!!」と怒り始めると、そんなに怒る事ではなかったかもな…。
と「スッ」と我に返ってしまいませんか?

つまり、何が言いたいかというと「怒り」というのはその場の突発的な感情である事が多いということです。

自分と同じ「怒り」を持っている人を見ると、共感を生む事があるかもしれませんが、その事象にたいして俯瞰して見る事ができます。

「スッ」と、我に返ってみれば、そんなに怒るほどのことではなかったと思う事がほとんどです。

この「怒り」の感情を俯瞰して見れる時、本当に腹立つことなんて、ほとんどありません。

ワンピースの1巻で、シャンクスが山賊に酒をかけられた事に対して怒るところか、笑っていたことに対して、ルフィーが怒るというかシーンがあります。

普通に考えたら怒っていいところですが、シャンクスは「ただ、酒をかけられただけだ」と笑いながらルフィーを宥めます。

このシーンは本当に今でも印象的です。

「あの野郎!酒かけやがってふざけんな!」と思ってしまいそうなところ「酒をかけらただけだ」と変換できるのは、心の器の大きさを感じます。

「怒り」の感情は、自分を正当化していますが結局のところは攻撃です。

上司が部下を怒鳴り散らかす。そんな場面よくありますが、どんなに正論言っても、それは攻撃であって自分の鬱憤を晴らすためだけの行為となってしまいます。

そんなに怒るほどのことなのか。「怒り」の感情を俯瞰して見るとによって、「大した事じゃないな」と我に帰る事ができるはずです。

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