無色透明な1等賞
12月25日
街灯がちらほらと灯るだけの暗くて小さな田舎町にも、シャッター街と化した商店街に出てみると無数のイルミネーションが派手に装飾を施している。
僕は夜道を散歩しながら
街から「クリスマスなんだからお前も楽しみなさい」とでも言われてるかの様に、ちょっぴり圧を感じたクリスマスを過ごしていた。
そんなキラキラしたクリスマスも終われば
世の中は急に老けたかのように
【忘年会シーズン】と呼ばれる時期に突入する。
僕の職場の忘年会では毎年恒例の行事がある。
それが「抽選会」だ。
事前に職員から参加費を徴収し、幹事のセンスで景品を購入してくれている。
大体、飲み会が始まり1時間くらいして、みんなのお酒が進んだタイミングでそれは始まる。
そんなこんなで開催される抽選会にて、僕はなんと2年連続の【一等賞】を取っている。
もちろん抽選会なので、くじ引きをしたりランダムで手持ちの番号を呼ばれたり、そういうやつだ。
運といえば運、たまたまと言われればたまたま。
でもあの時、今年のくじを引いた瞬間だけ、今までの自分を真正面から見て上げられた気がした。
お疲れ様と声をかけることが出来た気がした。
初めて一等賞をもらった時(一年目)はまだ仕事を始めてから僅か2ヶ月しか経っておらず
(当時もがむしゃらに頑張ってたけど)
自分なんかがもらってしまってちょっと申し訳ないなという気持ちが強かった。
周りの目も、当時はそういう風に感じてしまっていた。
あの時の「一等賞、ありがとうございます!」と景品を掲げて放った言葉の裏には「自分なんかがすみません」の成分が多く含まれていた。
でも今年は違った。この一年は違った。
仕事柄、僕は一人での行動が多く、特別職場の人と話したり関わることが他の人たちに比べるとかなり少ない。
さらには、人に腹を見せるのが得意じゃない、いっそ手放してしまいたいこの性格は、今の仕事柄と(最悪な意味で)抜群に相性が良く、職場の人たちとの壁をさらに分厚くする。(僕が悪い)
自分のコミュニケーション下手さのせい。
この一年間も幾度となくそれに苦しめられることが多々あった。
ただ最近、人に伝えても、返ってくる頃にはどこか変換されているような感覚も少しあって、早めに諦めてしまうクセがあるようにも今は感じる。
どう見たらそんな言葉をかけてくるのかと、心無い言葉をかけられたり、勝手に判断されてしまったり、それに巻き込まれたり。
今はそういう、自分の操縦の難しさと目の前の生き方を、絶賛猛勉強している所だと思っている。
だからこの一年間は
誰からも反応がない。けど続けなきゃいけなくて、褒められない。けど続けなきゃいけなくて、目に見えない。から誰にも知られなくて、それでもやるんだと地を這ってでも続けた。
そんな長い長い1年間だった。
あっという間じゃなかった。
人生で一番長かった。今も続いてるんだけど。
この一年頑張ったのを知っているのは、自分しかいなくて、ただの運だし、たまたまだけど、あの「1」を引いた時に
「頑張ったんだ自分。ちゃんとやってたんだよ。頑張った。本当にお疲れ様。」と一人の世界で話をできた気がした。
抽選での【一等賞】という言葉には
「テレビ」「ゲーム機」「旅行チケット」とか
その物体に注目や価値が向く。
『神様が見てくれている』
なんて言葉を蹴り飛ばしてしまいたいほど長く苦しい日々を過ごしたあの時の僕は、その物体以上のモノを手に取っていた。
あの一等賞は、抱きしめて守りたくなるほど大事な一番に思えた。