居場所についてのひとりごと
釧路湿原では、”そこ”でしか生息できない、繊細な植物たちが小さくも美しく命を輝かせている。
外の世界に出たら生存競争に負けてしまう。
でも、他所より環境は厳しいかもしれないけれど、ちょっと我慢すればそこは自分の居場所になる。だから花を咲かせられる。
釧路湿原は「競争には弱いけれど、我慢はするよ」という生物には優しい場所なのだそう。
小さな小さな、愛おしい花。
アスファルトの隙間からも、コンクリートの間からも生きのびる雑草は
湿原でしか生きられない小さな花よりも強いだろう。
逞しいだろう。
そして、窮屈さや汚れた空気を我慢しているに違いない。
競争はしていないよ。
我慢もしてるよ。
なんだか、そう言っているような気がしてしまった。
自分の居場所ってどこなのかな?
自分自身でいることができたら
居場所になるのかな?
競争には弱いけど、ちょっと辛抱はするよ
競争はしたくないけど、みんなと協力はするよ
誰の邪魔もしないから、この隙間にいてもいい?
小さい草花でも、動物でも、人間でも、
ありのままで生きていけたら
どこでも居場所になるのかな
競争なんかしなくていいじゃないか
みんな違うんだから
差別なんかしなくていいじゃないか
もともと、みんながみんな違うんだから
私の偏愛するヘルマン・ヘッセの作品「デミアン」の冒頭
『ぼくはもとより、自分の中からひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみたに過ぎない。どうしてそれが、こんなに難しかったのだろう。』
いつも、この言葉を思い出すたびかみしめる。
そう、どうしてそれが、こんなに難しかったのだろう・・・
自分の中からひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみることが。
だけど、何だか、これからはそれができる気がしてならない。
競争もしない。
我慢は、少しはしてもいいけど、いっぱいはしない。
そうして自分を生きる。
居場所は?
自分の居場所には、自分を生きていればたどり着く・・・と信じて。