ぼくの好きな俳句たち 3
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
前回に続いて蛍の句。
この句も説明を拒絶している句ですね。むしろ、読者にいろんな読みを求めてくる句。書き手が読み手に問いを発してくる句。
「ねえ、きみ、なんで蛍に生まれたの?」
「うん、じゃんけんで負けちゃったの。それで蛍になっちゃったの」
「へえ、じゃんけんでね」
「そう、じゃんけんで」
「ふ~ん」
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」
童話というか、寓話というか、ナンセンスでありながら何か意味が深そうな、そんな文脈を思ってしまいますね。
ただ、こういう不条理なことって、普通の生活でもありがちじゃないでしょうか。たとえば、吹奏楽部の楽器を決めるとき。入部してフルートをやりたいと思っていたのに、じゃんけんで負けてホルンになってしまった、とか。(ホルン奏者って、そういうホルンとの出会いが多いと聞きます)
そもそも、自分がなぜ自分なのか?これこそ究極の答えのない問いですよね。じゃんけんで負けたのか勝ったのか、それすら判然としないものです。
と、考えると、この句の底の深さに考え込まされてしまいますね。
軽い言葉で、これほどの深い哲学的な問いを含んだ俳句が生まれるとは。
でも、作者はきっと、そんなに深くとらえなくたっていいんですよ、とでも言いそう。それほどまでに、虚実が間を軽く行ったり来たりしている句。
とにかく「蛍」が絶妙。
かつて、「海程」俳句道場にゲストで参加されて、そのときにほんの少しだけお話させていただいたことがあります。上品で、ユーモアのセンスにあふれた方。軽やかで、しかし、芯がしっかりある女性。俳句への誠実さが印象に残っています。