百年目

久しぶりに体が悲鳴を上げ、この3連休は静養中。
予定はオールキャンセルとなり、方々皆さまには申し訳ない気持ちです。

初めての症状だったので、慌てて病院を受診しましたが、
薬の効果もあり快復してきたので、もう大丈夫そう。
しかし、年齢には勝てんなぁ・・・。

さて、少し元気になってきたので、
ご紹介頂いていた、落語・「百年目」を見る機会になった。

まず、メンバーのミスをどのように捉えて対処するか、という点について、
店の方(メンバー)に対する、大番頭さんの注意の仕方 と 大番頭さんに対する旦那さんの注意の仕方を対比しながら考えていた。

大番頭さんの店の方(メンバー)への叱責は、
店の方がネガティブな感情を抱き、抑圧されるような(コントロールされるような)表現が含まれていたため、注意している内容は正論ではあるが、店の方には、大番頭さんの意図が正しく届かない可能性があるだけでなく、
ややもすれば反感を持つことに繋がりかねない・・・

一方で、旦那さんの大番頭さんに対する話は、ミスが起きた状況を当事者に再考させる機会(考える過程で混乱も生じるが)を上手く与えているなと感じた。

それは、話の入り方、話題の展開の仕方(旦那さんは、日ごろの労を労う場面から始まり、
直接的に理詰めで問い詰めることはしない点など)に表れていた。

この2人の違いが生じた理由は、視野の違い;視点の置き方(+時間スケール)が関係しているのかも知れない。
大番頭さんの視点は、「私」、および、「ミス」それ自体であり、短期的な視点で、私の考える正義というか正論を会話の相手に伝えようとしていた。一方で、旦那さんは、会話の相手(または所属する組織)、および、「ミス」を中心とした過去と未来を含んだ長期的な視点で話しているように感じた。
すなわち、「ミス」を、相手の成長や組織としての動きの改善の機会としようとしていたように感じた。

この点から、私が気づいた点は、、
何らかの問題(「ミス」)が発生した際、問題のみに焦点を当てて対処しがちであるが、問題の要因とその影響範囲について、ヒト、組織(集団)、時間などの観点で広く捉え直した上で状況を判断し、対処出来るようになる必要があるということ。
ただし、表記は簡単であるが、現実世界では、状況の判断が難しいため、都度意識すると共に、他の方がどのように状況を判断し、対処されているかということも参考にしたい。

なお、先日のフリフェスのリーダーの方々の良さについて、今回、言語化出来た部分もあった。
また、「ミス」を“業績の悪化”として商売に置換して考えてみても面白そうである。


その他には、赤栴檀(シャクセンダン)と難莚草(ナンエンソウ)を比喩として何事も持ちつ持たれつの関係であることについて、話していた点が印象的であった。
組織の中での上下関係は、持ちつ持たれつの関係であることを忘れないようにしたい。

また仮に、赤栴檀と難莚草を 清 と 濁 と捉えると、組織の中の上下関係だけではなく、組織として、個人として、または、商売としての "濁" の抱え方を再考する良い機会になった。

最後に、今回、古今亭志ん朝、六代目三遊亭圓生、桂米朝の3人の「百年目」を聞いたのだが、同じ演目でも、人によってこんなにイメージが違うものなのだと驚いた・・・。

米朝の描写は細かく、話すスピードの緩急も絶妙で人間味が全面に出ているように感じ、
現時点での私は、桂米朝、古今亭志ん朝、六代目三遊亭圓生の順に好きであった。

置かれている状況で、好みも変わりそうな気がしたので、また時間を置いて、再聴してみたい。

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