父、76歳の人生記。-第8話:戦後小学生の甘酸っぱい芋の味-
はじめに
このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”は私の補足です。
第8話:戦後小学生の甘酸っぱい芋の味
隣の健君とこでおやつ呼ばれたん美味しかったな。
男爵いもをぎょうさん湯がいて、それに味付けがウスターソースや。普通やったら醤油と砂糖ぐらいの味付けやけど、当時としてはハイカラやった。いまでもその味覚えてる。ペーソスとノスタルジアが上手く絡み絶妙の味やった。
健君のお父さんの仕事は刃物研ぎやった。家で仕事してた。
そや、健君のおばちゃんが『やや子(関西弁で”赤ちゃん”)出来る』言うて、家で産んだな。安産やった。女の子やった。
井出のおばあちゃんも湯沸かしたりなんやかんや頑張ってたで。
夏には健君とこの庭にいちじくが実ってよう食べた。小学校の庭にもいちじくの実が生ってた。これも時々食べたな。
へてから(それから)小学校に隣接した雑木林があってん。そこでアケビを採って食べた。あんまりウマ無かったな。ドングリもよう拾ったな。
カンナがよう咲いてた。どぎつい赤やった。アッツい夏の太陽に負けへん色や。今では全然見いへん。
ついでに犬言うたらスピッツやった。「キャンキャン」うるそうに鳴く犬や。それも今ではからっきし見いへん。
二つとも絶滅したんかな。(してません)
ある日、三ちゃん兄ちゃんがやって来た。滝沢高校生(大阪の名門校)や。
おかんの財布を持って、たこ焼きをおれと買いに行った。
帰ったら「姉ちゃん たこ焼きこうたで」って言うて財布をおかんに返してたな。自分の大事な財布をなんぼ弟やいうても渡すやなんて。
そして使うぶんだけ つこたら(使ったら)返す三ちゃん兄ちゃんが好印象。信頼関係が構築されてるええ姉弟関係やなと思た。
僕が転校した学校は甲斐田小学校や。
二年生の担任は笹松先生やった。品のええ顔立ちしてたけど、あんまり印象無い先生やった。
同級生によっさんがいてた。先生の子や。
三年四年は原先生や。なり立て新任やった。
その当時、洗髪する時は石鹸しか無かったけど、先生はシャンプーであろてたんやて。自慢やったんかな?
五年六年は竹井先生やった。おばちゃんや。
いつやったか、五年の時かな。植畑さんが転校してきた。
東京から来たんやて。垢抜けてた。ハツラツとしてて可愛かった。もっちゃり感が全然あらへん。
書道の時間俺らは硯で墨をすって時間かかったのに、上畠さんは墨汁で書いてた。『何でや?』と思た。
そやし、流石言葉遣いや所作振る舞いは洗練されて東京流。ええとこの子やなと思た。
洋服見たらようわかるねん。小じゃれたセンスのええ服着てた。
俺この辺から服の見立てセンス解ってたんやな。
「栴檀は双葉より 芳しい」(子供の頃から優れた素質があること)や!ほんまやて。ウフッと、わろたらあかんでえ。
ある日の給食の時間にや、だいすきなカレーが出てん。
その鯨の肉が硬ったい石の様にかったい肉やってん。おれよう噛めへんかったさかいに、器に戻し、バッカンの中へ戻したった。
それ先生が見てたんやな、「藤井君(ぼんちゃん=父)それあかん」。
みんなの前で怒られてもうた。俺が見てても怒るわ。
アーあー 俺のチョンボや 恥かしかった ホンマ 鯨の肉の リユース?! あほな! 肉 やらこかったらええのに ニクラシイ ビヨーン!
あれは小学校5、6年の時かな。屑鉄拾いした。
最初は磁石引きずって歩くだけやねんけんど、後はトタン板や重たい鉄もん拾てきて集めた。
換金したで、こずかいになるねん。こずかい一括受給が嬉しかった。
最初は一日5円、10円と増えていき、後に一か月分まとめてもらうねん。嬉しかった。
計画的消費生活に入るねん。無駄遣いはせなんだ(しなかった)。気小っちゃいからや。バオーンとよう買わんねん。しみったれや。今でもや。バウオーン!
しみったれのついでに、ビー玉、ベッタンでかて遊んだ。そやけど大勝負はせなんだ。
敗けたら減るさかいや。人生と同じや。怖うてよう大勝負せんねん。
身の保身につとめるのんが精一杯や。無難に、無難にや。後の金銀溶解事業もそうや。
自己保存本能のまま生きてるんや。ほんまに怖がりのアカンたれや。買うて貯めとくだけやった。
あ~あ、今の服もそや。買うて置いとく。箪笥の肥やしや。
低学年の時とか女子がよう使うてた、じゃいけんの時、
「ホコホコ ほっかい ほっかいどう ほっかいどうはさあむいよ じゃいけんほい あいこでホイ」
それからこんなんあった、高学年の時男子は
「じゃらけつ おけつで あいすくりーむほい」、「いんじゃんほい」もあったな。「かーまーじゃいけんほい」もや。
ほてから回文?みたいなやつで、
「おっかちゃんダイヤモンド買うて♪ ダイヤモンド高い 高いは煙突 煙突は黑い 黒いは土人 土人は強い 強いは金太郎 金太郎は赤い 赤いはお腰 お腰は臭い 臭いはうんこ うんこは黄色い 黄色いはバナナ バナナはむける むけるは ○んぽ!」(あえて原文そのまま)
雨降った時、傘差しながら「春雨じゃ濡れて行こう」、最近言わんし聞かん。
「♪熱海の海岸散歩す~る 寛一お宮の二人連れ♪」これもや。
漫才のネタやったのに、時代やな。「別れろ切れろは芸者の時に言う言葉」 寛一がお宮を蹴りよんねん
運動の時間ではドッジボールはボール当てるのん、もひとつやった。しやけど逃げるのん上手かった。最後まで残ったでハシカイやっちゃ。
ソフトボールボールもまあまあやった。いっちゃん嫌いなんがサッカーや。 走って走って走りまくってそれで終りや。何にもおもろない。今でもサッカー見いへん。虎馬(トラウマ)や!
(第8話ここまで)
息子から
少々長くなった8話でした。
今回もあっちいったりこっちいったりのお話だらけでしたが、先生の名前、友達の名前、相変わらずよく覚えているなぁ…と。
途中、「回文?」とありましたが、今で言うマジカルバナナ、連想ゲームのことでしょうね!昔からあったんですね。当時の空気感を伝えたく、あえて原文そのまま載せました。
あとは、鯨の肉で怒られた事件や、子供の頃からの倹約家な自分を嘆くシーンは、心の内なる叫びが綴られていて、バウオーン、ビヨーン…私としても恥ずかしい気持ちになりました。
それにしても私が物心ついた頃から父は母から「ケチ」と言われ続けてきているんですが、”幼少期からだったんだな…そりゃ大人になっても治らないな…”と。。
そんな父の人格形成を担っていた幼少期の物語でした。また次回も読んでくださると嬉しいです。