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父、76歳の人生記-第22話:バスケ部ぼんちゃん、ラジオと自転車の想い出。-
はじめに
このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”の中は私の補足です。
第22話:バスケ部ぼんちゃん、ラジオと自転車の想い出。
クラブ活動はバスケ部や。
”バスケットしたらジャンプする。ジャンプしたら背が伸びる。”只それだけの理由で、や。単純やってんな。
両親、おれ、友達もそれ固く信じて疑う術を知らなかった。しかしや、結果はこれのこれや (^0^))
当時、『運動してる時は喉が乾いても水飲んだらあかん』て言われてたな。 今や信じられん。熱中症で死ぬで。当時熱射病か日射病言うてん。
先輩に米田さんが居ててよう教えてくれた。同級生はヤッサン、影山くん、 山合君、おおやま君、江間君がいてたな。
転校生の梅田君もバスケット部に入って仲良しになった。なんでもお父さんが日野自動車に勤めてて、ヒルマンミンクスがええ言うてた。
身なり言葉からちょっとええ暮らしの子やったな。梅田君は人の陰口叩かん素直なええ子やった。友達になった。
でっかい山合君とも仲良かった。愛称ダルキンやいうて教室でいっぱいトークしたな。冗談や軽口の解るええ子やった。先生が「両手に花」言うた時 「ツウーハンドフラワー」と訳しとったな。
ガムを買うた。
ガムにカードがあって、世界の車が印刷されてて、国ごとに10枚集めると景品がもらえるシステムや。
10カ国全部集めたら、ダダーン!最新型トランジスタラジオがもらえるんや。
最初は近くの菓子屋で買ってたけど 段々ハマっていって港西の問屋まで買いに行ったわ。
ガムは10個入ってて、外の袋の所に記号が印刷されていて、その記号によってどのカードが入ってるかがカギやねん。井上君も集めてたな。
努力の甲斐があって遂に!一番の賞品、待望のトランジスターラジオを手に入れる事が出来たんや!縦が15センチ、横50センチぐらいやな。薄いブルーや。まあまあ大きかって、2スピーカーやったから音質も良かったわ。
そのラジオはほんま役にたったで。音楽、深夜放送、それから高校になってから受験せんなあかんかったさかいに、「旺文社のラジオ英語講座」なんかよう聞いた。講師が西尾孝とか誰やったかな。
その時「Where there is life!There is hope!」いうてシェイクスピアの何とか言う小説の一節やねん。「生きとかんなあかん」言うやっちゃ!何とかなるや!”ケセラセラ”みたいな奴や。いまでもひつこう(しつこいくらい)に覚えてる。アホの一つ覚えや!どうでもええねんけどな。
ラジオ、10年は軽く現役でがんばっとった。
神室君が居てた。胴長で老け顔で人のええおっちゃんみたいなやつや。
神室君は吉原さんが好きやってんな。彼女のこと、蠱惑的、小悪魔みたいや言うてたな。
ほんま言うたらおれも一寸ええなあとおもとてんで。席が一回だけ横になった事があんねん。うれしかった!淡い恋心。甘酸っぱい・・・
授業態度悪いから、おれと井上君、達ちゃん、それにあと二人位いてたかな。国語の菊池先生の授業の時は席替えや。窓際に縦に一列に並ばされんねん。
おもろいから俺は自主的に移動したで。皆んなもそやった。先生マジでやってたんかな!?
これもアホ先生の戯言か。俺らは遊び、先生本気、アホの勝ちや!良かったなあ。
夏の時や。
熱いから皆んなランニングシャツか半袖シャツ、下はトレパンやった。
5、6人ぐらいで自転車に乗ってサイクリングや。遠いとこは難波まで行ったな。
皆んな暑うて喉乾いて青息吐息やさかい、おれ高島屋に入って厨房のおばちゃんに、小遣い持ってないし「皆んな熱い言うてるから おばちゃん悪いけど水頂戴 お願い」って言うたな。
おれが誘ったサイクリングやさかい、皆んな倒れたらあかん。責任あるからや。この時分から交渉力を身につけてた、っていうより怖いもん無しやな。
おばちゃんも『けったいな元気な子がよう来たな』っちゅう感じでむかえてくれた。皆んな冷たい水ゴクゴク飲んで元気になってルンルンと帰った。それだけや。
高島屋やったから良かってん。俺らには”将来のええお客さんになってもらわんなアカン”と言う訳や。おばちゃんええ読みでええ判断したんやな!
サイクリングはまだあるねん。ヤッサンと普通の自転車で脇谷までサイクリングしたな(20km程度)。途中で水気摂らんとようやった。安もんの自転車でようやるわ。ペットボトルなんか無い時代や。
大山くんは刑務所のねき(近く)に住んでた。
お父ちゃんは刑務所の中で囚人に製靴を教えてる靴職人や。よう遊びに行った。
近くに半田君が居てた。彼は泣き味噌やった。質問に答えられへんとか窮地にたつと、すぐワー!と泣くねん。そやけど数学はできててんな。今思ったらアスペ入ってたんかな?!
中学校になってから江川君が居てた。教室では大山くん、江川君、俺がよお遊んだ。そや中学になってから江川君とおおやまくんはバスケット部に入ってたわ。
江川君は真面目やった。就職先は大阪府警や。現場か事務か知らんけどピッタリや。
(第22話ここまで)
息子から
しばしば父は、自身の低い背丈のことを自虐的に綴ります。
『バスケ部、バレー部に入れば背が高くなる。』そう思っていた時期は僕にもありました。
中学時代から約10年、父の青春時代を彩ったであろうラジオとの出会いは意外にも賞品であることも知りました。かくいう私も父の影響で幼少期からラジオに触れ、今も大好きなメディアであります。
遠距離サイクリングは私もしたことがあり、中学時代、大阪から12時間をかけて滋賀県は琵琶湖にまで、ママチャリで行ったことがあります。
いろんなところに”遺伝なんだな”と感じることが多く、クスっとしてしまいます。やはり私は父の子だな、と。
緩やかなペースになるかもしれませんが、引き続き読んでいただけると嬉しいです。それではまた。