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父、76歳の人生記-第17話:オトンと、そのオトン。-

はじめに

 このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
 戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
 それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
 父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”の中は私の補足です。

第17話:オトンと、そのオトン。

 (ぼんちゃんの両親が働く)病院主催の運動会があった。
 丁度その時、二所ノ関部屋の巡業相撲が来てた。外掛けの琴ヶ浜が居てたな。関取の食欲は凄まじいものがある。皆んな旨そうに丼鉢でバコバコ食べてた。あんなけ食べてたらそら大きはるはずや、馬力も出るはずや。関心ひとしお。
 仮装行列があった。乞食のオッサンがカゴ担いで、トングでゴミ拾うんや。 乞食にしては病院の中によう入れたもんや。仮装にしたら余りにも汚い服着てるし顔も汚れてるし、しばし見とれてた。
 『メガネが一寸ちゃうかな。乞食にしては眼鼻立ちがはっきりしてるし、大柄やし、うーんオトンにも似てるけど、オトンはあんな汚いことないわ。ひょっとしたらオトンかも。そやったらうまい。』
 やっぱしオトンやったオトンは仮装賞もうた。家建立てまわししたり、トンボ上手いこと獲ったり、器用なオトン、見直した。

 オトンは水泳部、相撲部にもはいってたな。オトンは学生時代相撲部やってんな。四股名が”常の山”やて。おとんは昔人間やけど背高かった。176センチ言うてた。ふっ君(筆者=息子)と同じや。因みにおれLOWセンチや!? 何でや!?腸炎に罹って脳に栄養行かへんようになったからか!?

 扇町プールにオトンと巡業相撲見に行った。満員の盛況や。土屋町に芝居小屋があった。大衆芝居や。
♬ 錨を上げて 船は離れて行くよ 恋の港よいつまた会える ♫
迫力あったん覚えてる。 オトン歌舞伎や田舎芝居好きやってんな。相撲、水泳もやし、文化的欲求かなりあってんな。

 オカンが仕事で資格要る言われて国家試験の栄養士か調理師の勉強してたな。オトンに何やかや教えてもうてた。オトンとオカン復唱したり、オカン独唱してたな。日本国憲法とか栄養学のあれこれや、仲良うやってんな(^O^) お陰で免許皆伝や。

 それからオトン体調崩してんな。
プリッグ(極度の心配性のようなもの)に罹った。慣れへん夜勤もあったから体調崩したんかな。オトンのは結核恐怖症や。アナウンサーの辛坊治郎氏もプリッグやってんな。辛い病や。川口のおばちゃんは「末子で甘やかされて育ったからや」言うてた。まさに精神論やな。

 甲斐田病院の分院で茨木病院に入院した。
 オカンが生活支えんなあかんからオカン苦労した。オトンの病気はよ治るように、清さんの嫁でタマちゃんが茨木にある総持寺へお参りに行ったな。
 それからおっきい姉ちゃんも初台にあるおだいっさん(お大師さん)に連れてもうた。
 昔、腕が痛なって困ってた。その時おだいっさんにお参りしたら腕がすっかり良うなって、以来おだいっさんを信じて止まなかったやんて。
 皆んなオトンの快復を願って必死やった。
  
 オトンが入院してる間にオトンの自転車、バイク、よう乗り回したな。
 当然無免許や。気持ち良かったで。ジョキバタジョキバタ言うて、思いっきり走ったわ。燃料は混合や。こんなんあったん皆んな知らんやろな。
 クソボケポリに見つからんように上手いこと走った。もし見つかったら エンジン切って自転車漕ぎしたらええねん。ポリなんか所詮御用だ御用だの幕府の犬や思てたから全然怖なかった。年端のいかん俺に実態見透かされとってんで。気いつけてや。

 坂東園に住んでるおとんの姉、サコのおばちゃんからよう俺の服を送ってもうた。
 俺んとこの家の経済的負担ちょっとでも軽くしょう思てんな。その服は長男のミワクちゃんのお下がりやけど、サラ(新品)みたいに綺麗ねん。センスええのんばっかりや。
 坂東園てエエとこや言うのん知ってたけど、エエシやってんな。普段着にするん勿体ないからよそ行きにかて着て行ったで。 
 おばちゃんの顔は覚えてないねん。おばちゃんの葬儀に行ったん覚えてる。 生活道路がきれいな並木道になってた。瀟洒な家が並んでた。今おもたら西宮はたまた芦屋とええ勝負するやん!  

 オカン方の栄二郎おじいちゃんが、淀駅のねき(そば)で青果果実の販売してた。
 店を充実させるため米屋の弟であるキイちゃんが就いた。俺、年末の繁忙期にはよう手伝いしたな。みかん一盛、大根、りんご、人参、ごんぼ(ごぼう)、ジャガモかんご(カゴ)に入れて、 
「いらっしゃいませ まいどおおきに これあまいですよ おおきに」素直に言えたで。
 信ちゃんおっちゃんは、『果物ん売る時「あも(甘い)おまっせ」と言うたらええんやで』と言われたけど、俺は「甘いですよ」 しかよう言わんかった。
 おじいちゃんとこの果物、あもうてスパイシーや。みかんは皮が薄うてあんまい。桃は皮がスルッと剥けるし、種と果肉がスパッと離れるし甘いねん。
 よそで買うた桃は皮がスルッと剥けへんし、種と果肉がぐちゃぐちゃになってんねん。甘ないのんなんか無かったな。トマトもそのままかぶっても甘いねん。スイカもあまかった棚落ちしてる奴何か皆無やった。
 おじいちゃんはスイカ、たかたか指(中指)の背中でコンコンと叩いて品定めしとったなあ。仕入れの目が効いてたんやな。小さい店やけどよう流行ってた。

 昼のご飯は決まって、線路脇にある駄菓子屋とお好み焼き屋さんとこで焼きそば注文したな。
 おっちゃんがでっかいテコでシャシャっと手際よく焼いてくれるねん。美味しいねん。

 一方オトン方のおじいちゃんの事あんまり知らん。
俺が産まれるまでに亡くなってたからや。けど、おじいちゃんは奈良に住んで裁判官してたんやて。後に裁判長してたやて。頭賢い言うのん聞いてたな。
 奈良の油阪に住んでいたんやそこが本宅や。それだけや。それと別宅が春日町(高級住宅街)の家や。エピソードがすけない(少ない)のんしゃあないわ。
 このこと口外するのん初めてや。嫁はんにかて言うた事ない。
 
一ヶ月程前(2022年6月時点)、テレビでサスペンスドラマの中で裁判の場面あった。その時「俺のじいちゃんも裁判官してた」言うたな。 

(第17話ここまで)

息子から

 今回も私が初めて聞くことだらけです。いつも通り脈略のない話は御愛嬌で。
父の父の話すら聞いたことが少ししか無いうえに、父のおじいちゃんは初聞き。本人が綴っているように、全く話してこなかったエピソードだそうで。

父の父、おじいちゃんは体調を崩してしまったエピソードも出てきて。
私が物心ついた頃にはおじいちゃんは亡くなっていましたので、その前触れなのでしょうか…辛くなりますが、この続きも書き続けていきます。
 次回も読んでくださると嬉しいです。


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