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なんか嫌だったカフェで隣に座った人たち


この記事では”なんか嫌”のなんかを深掘りしています。

ランチを食べにひとりでカフェへ

そのカフェは4人掛けで
ひとつのテーブルを囲むスタイル

いくつかテーブルがある中で私は誰も居ない1番奥のテーブルへ。まだ11時と言うことでお客さんも少ない。

ランチを食べ終わり、
食後のコーヒーを楽しんでいた時の話。
昼時でお店も混み始めた。
もちろん相席になるだろうなと思っていたので、それ自体は何も問題はなかった。
私のテーブルに、2人の女性がやって来た。


赤が私。青が相席の2人。


当然、同じテーブルを囲んでいる訳だから
会話は聴こえるしパーソナルスペース的に言えば
ほぼ無い。例えるなら電車のボックス席のよう。

私はひとりで来ているので、ケータイを見ながら
コーヒー飲んでのんびり過ごしていた。

後から来たその2人は、
最初は他愛無い会話をしていて
ひとりがヨガ、瞑想系のリトリートから帰って来たばかりでその感想を話していた。

いかに日々雑念や余計な心配を抱えていたか瞑想を通して分かったとかそういう話だった。

聞いている方の女性は、
「へえ〜」「そうなんだぁ」の相槌の連発で興味の無さが現れすぎてて面白かった。

そんなのお構いなしにもう一方の女性はリトリートの感想を続ける。
すると話はいかにケータイが危険か、SNSの中毒性にシフトされ始めた。

「やっぱりケータイってダメだよね。ついつい見ちゃう」
「わかる〜SNSとか無意識のうちに見てるよね」
「必要以上、触らないようにしたいよね」
「ちょっと調べものとかで触ると結局何時間も触ってるよね」
というまぁそうだよね〜と思う話が始まった。


同じテーブルでケータイの悪について語る人達と、ケータイでSNS見ながら過ごす私。

「もうすぐコーヒーも飲み終わるし、そろそろ出ようかなぁ。」と思っていたけど今出ると気まずくなって出るみたいで嫌だなと思ったのでもう少しその場にいる事にした。(こういうところ⇦)


まぁ、”きっと”何も悪気はないだろうけど
ちょっとずる賢さみたいなのが伺えた。

そりゃあ狭いボックス席に知らない人が居たら落ち着いて本来の会話が出来ないよね。

きっと人間って知らないところで
そういうずる賢さみたいな知恵が働いて
直接的に言わずに間接的な気まずさを与える事があるんだろうなと思った。


どうしたらこの人に直接的じゃなく
間接的に気まずさを与えられるかというと
ケータイを触ってばかりいる事はよく無いという話題にしたら、今ケータイを触っている人が少なからず気まずくなるだろうという
人間のずる賢さを感じた


案の定めちゃめちゃ気まずくなったし
すぐ帰りました。


今回のことで、私がなぜ気まずくなったのかと言う事を考えるきっかけになったし、あのお店にはもう行かないなと思うのは味の良し悪しだけでなく、居心地(席の設け方)等も関係してくるなと思いました。 


※これは私が捻くれて物を考える癖があるのがベースの考察です


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bon
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