猿橋の苦悩(山梨県大月市)
11月の日曜日、山梨県大月市の猿橋に来た。猿橋というからには、猿に由来する物語があるはず、と思い、猿橋縁起を探すと、公衆トイレの裏に、人知れずこんな“猿大将“が座っていた。
むかーし、むかし、鬱蒼とした原生林だったこの桂川渓谷に日蓮聖人がこの地を訪れて対岸に渡ろうとしたところ、白い猿たちが互いに手を繋いで、対岸の藤蔓に飛びつきながら橋をつくりましたーー。
そんな言い伝えがあるという。昭和世代の私は繋いで遊ぶ「ピコタン」を想起した。
さてここからはちょっと固い話になる。
今秋NHKでも取り上げられた「猿橋」、その後現地にはポツポツと観光客も訪れている。私も「日本三奇橋」に期待を膨らませて訪問、江戸時代に歌川広重が見たと思われる幽谷そのままを目の当たりにし、「これはすごい」と感動した。
その一方で、これだけの観光資源がありながら、「なぜ」と思うことがいくつかあった。NHKで取り上げられた割には観光客が少ないこと、つまり“名勝地としての賑わい”がそこにはなかったということだ。
また、せっかくの美しい猿橋だが「周辺環境をもう少し大事にしては」という思いも抱いた。肝心な「猿橋縁起」を物語る看板や、猿橋の物語には欠かせない「猿」像そのものが、公衆トイレの隅に追いやられ、不要物よろしく“お払い箱”にされてしまっていたのだ。
これは、観光客のためのトイレを設置してくれた結果が招いた不幸な事態なのだが、もう少し“日の当たるところ”に移設することはできなかったのだろうか。また国定忠治が逗留したといわれる飲食店「大黒屋」は2021年に廃業、周辺にはお土産屋も飲食店も少なく、土地の風情を感じるには物足りなさがあった。
「日本三奇橋」であり国指定文化財でありながら、これで地元を活性化させようという雰囲気はなんとなく薄い感じで、正直に言えば、「放置状態に置かれているのではないか」と心配になってしまった。
小さいことではあるが、公衆トイレのトイレットペーパーも“替え玉”が枯渇しており、あたふたせざるを得なかった。私自身がポケットティッシュを持参していればよかったが、近年その習慣がなくなっていたのは、日本の観光地やサービスエリア、道の駅のどこもがトイレットペーパーの補充にぬかりないためだ。橋からほど近いところにある川辺のペットボトルのゴミも残念だった。これほどのゴミの散乱を放置しておくのは、せっかくの価値を半減させてしまう。
これだけの遺産を持っているのだから、地元市民の関心、行政の関心がもっと向けられていてもいいのではないだろうか。あるいはもっと活気や賑わいがあってもいいのではないだろうか、と思い、観光協会に問い合わせてみると、「同じような意見はあるが、市の腰が重い、観光協会ではどうにもならない」という。
今度は大月市に訊ねてみると「県の文化財なので市は手を出せない」という。確かに文化財は守ることがメインだから、そのままの状態で残すことが望ましい。そういう県の立場もよくわかるし、それは一理ある。
考えてみれば、「ありのままの状態」を残してきたから、令和の世でも江戸時代と変わらぬ景観が堪能できるわけだ。一方で、観光資源を商業的利益に結びつけ、「観光開発」のアクセルを踏めば、日本の貴重な景観がまた1つ失われることになる。
欧州では「当時のままの景観」を価値だと思う市民により、その保存が徹底的に行われ、その結果として過度な宣伝をしなくても世界から訪問客を呼び寄せるに至っている。こうした視点からすれば、猿橋の事例は「当時のままの景観」を残すことに“成功”したのだと言える。
だが、これから先が難しい。どの自治体も財政難の中で、「維持保存」の財源の捻出は容易ではなくなる。だからこそ、観光客の訪問が大事になってくるのだと思う。
その観光客が求めるのは、「地元の味」だったり「地元にしかない付加価値」だったりするが、どうも地元産業との連動が弱いようだ。主人公は猿橋、それを盛り立てる“名脇役”たちがほしいところだ。
予算をかけずに困難を乗り切るのは、民の知恵でしかない。市からすれば「きりがない」という「ゴミ問題」には「ゴミ拾いデー」などを設けて、広域からボランティアを集めたり、あるいは善意ある観光客に袋を持たせて「ゴミを回収したら柿と交換」するなどの取り組みも実験してみる価値はある。トイレットペーパーの補充が難しければ、トイレに「ポケットティッシュ箱」などを設けて、来訪者から余ったティッシュを集めて次の利用者に活用してもらうことだってできる。
「国指定文化財だから勝手にできない」というのが、簡単には猿橋に“付加価値”を与えられないことの1つの理由になってしまっているが、だからこそ、小さい民間活動の積み重ねが意味を持つのではないかと思う。
まずは県、市、観光協会、そして観光客も参加できるような、横断的に意見を交換しあえるプラットフォームを作ってほしい。そのときはぜひ私も微力ながら参加し一緒に知恵を絞らせてほしいと思っている。