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儚いものが好き

前回投稿からだいぶ経ってから更新だ。
近日中に好きな酒リストを作るなんて言って自ら宣言しておいて、この有様である。
しかし初回投稿で日記は毎日投稿の必要性は無い、と分かったので、この完全なる言い訳に免じてなんとか大目に見てもらいたい。

さて、今回のテーマについて。
これは私が大人になってから、とてもよく感じるようになったことだ。私自身だけでなく、他者も含めるという意味で、人は儚いものが好きになりがちなんじゃないかなと思っている。つまり、言葉を変えれば賞味(消費)期限があるものを好む傾向にあるということだ。(といっても、食べ物というジャンルに関しては無論例外である。)

例えば、アイドル。特に女性アイドルにいえることだと思っているのだが、世間からふんわり設定された活動可能年齢みたいな期限が常についてしまっている気がする。なぜかその点に関して男性アイドルよりも厳しい目を向けられている。(わたしはフェミニストではないけど、この差は少し可哀想だなと思う)
また、人よりも寿命が短い動物や枯れてしまう植物、変わりゆく都会や田舎の眺望なんかもそうではないだろうか。

では、なぜそんな儚いものに人は惹かれるのだろう。私は、儚さと、あらゆる人にとっての「癒し」とが紙一重だからでは無いかと思う。癒しといっても一概でなく、表現が難しいが幸せ、だとか楽しい、だとかを思えることということだ。
よく人に夢と書いて儚いと書く、というが、まさにそのとおりで、夢も少なくとも追いかけている間は前述した「癒し」に近い感情が多いのだとと思う。

儚さ、は現代人にとっては衣食住と同じぐらい癒しを求めるという意味で切っても切れない関係性なのでは無いかと思っている。人は人として感情がある限り、何かしらで和みたいと思うのだ。

これは既にビジネスとしても展開されている。ペットショップや花屋が良い例だ。この儚さを取り扱う商売は今後もある程度需要がある、安定産業の一つなのかもしれない。(ペットショップの枠は生体販売反対の流れでブリーダーに成り代わる可能性がある)

かくいう私も、儚いビジネスの虜となっている。というのも、最近もっぱら=LOVEという指原莉乃ちゃんプロデュースのアイドルグループに文字通り激ハマりしている。ライブ動画やMV、ドキュメンタリーを観て、最近私ってこんなに一生懸命、憧れとか誇りとかを持って努力したことあったっけ。。。と改めて考えさせられたし泣いた。
因みに私は箱推しだが強いて言えば現在の推しメンは瀧脇笙古(たきわきしょうこ)ちゃんだ。握手会に代わるオンラインお話し会なるものと来年1月に初の武道館ライブがあるのでガッツリチケット予約をしようと考えている。

儚いものには金を使え。この遺言を最後にアイドル沼にズブズブとハマっていく私の様子をどうか嘲笑でもしておいてほしい。

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