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日記ってなに

気まぐれに始めてみた。自分自身の記録用。毎日投稿は出来ないけれど主に日記として使ってみようと思っている。基本的にその時に思ったことを突発的に書いている自己満足の文書なので、それを前提に読むか読まないかは決めてほしい。

そもそも日記ってなんだろう。

毎日投稿は出来ないけれど、なんて前述しているから、私の中では「毎日書くもの」として位置づけられてる代物なんだろうな。多分、この固定観念の理由は小学生の時に夏休みの宿題で出されていた絵日記。毎日の出来事を書かなければいけなくて、最初の三日間ぐらいは頑張って書いていたけれど四日目以降は絵も文章もめちゃくちゃ適当になっていた気がする。「毎日書かなければ成立しない書類」として大人になった今でも認識していることに対してなんだか恐ろしく感じる。今、日記の定義を調べてみたら「個人が日々の文書を記録した文書」とのこと。よし。毎日書かなくても成立するものなんだな、と少し安心した。ここまで読んでくれた人は私の「毎日書くことが必須じゃない日記」のデビュー作なので是非期待せずに傍観したければ勝手にしてほしい。

ここまで書いている途中で、私の頭の中になぜかポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」の内容がポワ~と浮かんできた。半地下家族の息子が金持ち家族の娘の日記を盗み見る場面。あれは気持ち悪かったな~とぼんやり思っていた。なんで気持ち悪いと感じたのか。恐らく、金持ちの家族の娘がもしその状況を見ていたら気持ち悪いと思うだろうなと思って、金持ち家族の娘の感覚と自分の感覚を重ねて感じたんだと思う。

日記ってSNSの前身だと思っていたけれど、SNSは基本的に第三者に閲覧されることを前提に話題から言葉まで、ある程度選んで投稿しているはずだ。(少なくとも私はそうだ。)さらにフォロワーがいることから読者ターゲットが自然と生まれる。自分しか閲覧することはないであろうから、好きなことを書き放題な一般的な日記とは異なると思う。

でも先日、転職希望先の二次面接で、役員に「インスタ見せてよ」と言われて「気持ち悪いななんだコイツ」と思ってしまった。

第三者に見られると分かっているはずのコンテンツだけど、自分が見せていると認識している人以外の人からその内容について知りたがっている、もしくは知っているような態度をとられると、自分の部屋を覗かれているような感覚になる人って多いんじゃないかなと思う。私もその一人だ。面接のときも、この感覚になって、そう感じたんだろうなと思う。(因みにその面接を受けた企業は落ちた。インスタ見せたのに。)

現代版の日記は本当に多様化しているなーと思う。TwitterやInstagram、ちょっと前ならmixiとか前略プロフィールとか。いつの間にか日記は自分だけの秘密をこっそり書き込む手記から、自己表現の手段やコミュニケーションに欠かせないコンテンツになりつつある、いや、もうなっているのかもしれない。

私がこのnoteを書き始めたのも、「記録用」と前提を置いておきながら、もしかしたら潜在的に自己表現の場として、コミュニケーションの手段としてのnoteを求めているのかな・・・と思ってきた。うーん、そうなのかな。言われてみればそうなのかも・・・。

今一通り読み返してみると、私って理屈っぽい人なのかな。なんだか良くも悪くも新しい自分が発見出来た気がしなくもない。こういう風に自分が考えていることを文章化することは思ったより楽しかった。

公開設定に迷いながら、まずは初投稿をここで〆させて頂く。

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