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井の中深く夢がある
「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」で有名な「ドグラ・マグラ」の作者といえば・・・
夢野久作(1889ー1936)
そう、夢Q!
1926年、37歳の時に「あやかしの鼓」が「新青年」の懸賞で二等に入選したことがきっかけでデビュー。
当時の作家は大抵この段階で上京するのですが、夢Qの場合は地元福岡に留まります。
途中、所用で東京に行くことはあっても、本拠地は生まれ育った福岡。
地元をとても愛していたようです。
その頃の福岡には、地元の文学好きが集まるサロンがありました。
<ブラジレイロ>という喫茶店です。そこに夢Qも通っていたといいます。
(場所を変えて現存)
同郷の(こちらは柳川)、北原白秋(1885ー1942)も常連だったようで、ロマンあふれる言葉選びとか、耽美的な世界観とか、直接の交流によって影響を受けていたのかもしれません。
(当初、探偵小説ではなく詩や童話を書いていた夢Q、白秋がお手本だったのかな)
こうして中央の文化とは距離を置き、地方で熟成させていった独自の文学。
しかし・・・
私自身が田舎の人間だからか、一つ引っかかる点があるのです。
――そりゃ、純粋な郷土愛やろか?(訛ってしまった)
※ネタバレ、実は私も同郷(←より奥地)です。
ここでちょっと、青空文庫。
デビュー直前、夢Qが地元新聞の記者をしていた頃に書いた記事を貼ります。(杉山萠円 名義)
「街頭から見た新東京の裏面」(1924)
「東京人の堕落時代」(1925)
タイトルだけで想像がつくと思いますが、東京は怖くて汚い所だと、けちょんけちょんに扱き下ろしています。
死後に雑誌に発表された随筆も相変わらずなので、生涯にわたって考えは変わらなかったと思われます。
「恐ろしい東京」(1937)
――そげん、嫌わんでも、よかとに。(訳:そんなに嫌わなくてもいいのに)
<純粋な地元への誇り>で完結するでなく、さらに東京を批判してしまう所に、何やら屈折したものを感じてしまうのです。
そんな夢Qですが、若い頃に一度、東京へ出ています。
慶應の文科で大好きな文学を学ぶためでした。
しかし、父に反対されて泣く泣く中退。
(夢Qショックのあまり、その後しばらく放浪し出家までしてしまう)
この父というのがなかなか強烈な人物で、夢Qの一生に多大な影響を与える訳ですが、以下にざっくりまとめますと、
*政治運動のために家族を放置して東京で生活
(その間、幼い夢Qの生母は追い出され、祖父母によって養育、儒教や能楽を叩きこまれる)
*息子の職選びは自身の意向100%
(農園経営、能楽教授、新聞記者、郵便局長 etc. 夢Qずっと地元)
*文学嫌い
随筆「父杉山茂丸を語る」に、その関係性が垣間見えます。
なつかしい、恨めしい、恐ろしい、ありがたい父であった。
その十六歳の時、久し振りに帰省した父から将来の目的を問われて、「私は文学で立ちたいと思います」 と答えた時の父の不愉快そうな顔を今でも忘れない。あんまりイヤな顔をして黙っていたので私はタマラなくなって、「そんなら美術家になります」 と云ったら父がイヨイヨ不愉快な顔になって私の顔をジイッと見たのでこっちもイヨイヨたまらなくなってしまった。「そんなら身体からだを丈夫にするために農業をやります」 と云ったら父の顔が忽ち解けて、見る見るニコニコと笑い出したので、私はホッとしたものであった。
あらゆる意味に於て不肖の子である私は、父の生前に思わしい孝行を尽し得なかった。これからは父の死後の父に、心の限り孝行をして行きたい。
父の死後もなお、その呪縛を解くことができなかった模様。
ただし、文学だけは別。
父のお膳立てで就いた職業の傍ら、童話、詩、短歌、川柳、随筆、漫画などなど、新聞や雑誌に発表していました。
ある時、父に自作の小説を読ませてみた所、
「夢野久作」
と言われてしまいます。
(なぜ読ます)
つまり、
「夢見る夢子ちゃん」
と馬鹿にされてしまったのです。
しかし、それをそのまま筆名にしてしまう夢Q。
どんな感情。
(やっぱり、認めてほしかったのかな)
父の死後、残された愛人問題や借金問題を解決すべく奔走した夢Q。
無理がたたったのか、それから一年も経たずに、父と同じ脳溢血で死去します。
最後の最後まで父に翻弄された人生です。
ここで、比較として、横溝正史(1902ー1981)のお話を。
夢Qよりも一回りくらい年下ですが、横溝もまた、作家になる前は地元神戸で家業の薬屋を継いでいます。
そして、一度は文学への道を父に反対されています。ここまで同じ。
しかし、乱歩の誘いに応じて上京しました。
横溝の<探偵小説>には、<土着的>で<封建的>な地方の家が登場します。しかも、それをきちんと否定している。事件の原因であるとしている。
<イエ>から自分を解放していて、改めて外から俯瞰しているんです。
しかし、夢Qは常に<イエ>の渦中にあって、ずーっと囚われている。
だから、夢Qの作中には金田一のような救世主となる探偵は登場しません。
粘りつくような残酷な描写。
救いのない結末。
書簡形式の一人称で終始悶えている。
こんな風に<イエ>から離れられない夢Qは、東京を否定することで地元にいる自分を肯定しようとしていたのかもしれません。
とはいえ、自身の作品に対する批評にかなり敏感で、何か言われるとすぐ僻んじゃう。どーせ自分は無学な田舎モンだから、と。
なんやかんやで、東京を意識している。
特に、デビュー作を酷評した乱歩に対しては、複雑な思いがあったようです。
デビュー直後の随筆「所感」(1926)
乱歩について綴った随筆「江戸川乱歩氏に対する私の感想」
かなり辛辣で後ろ向きです。
夢Qの強い自己否定の裏には、過剰な自信も見え隠れします。
それが苦しみの元のような気もしますが、同時にその自信が唯一の支えだったのかもしれません。
だからこそ、<探偵小説>に対するこだわりは人一倍。
東京発の<探偵小説>にはないオリジナルの美学にこだわっています。
こだわりすぎて随筆書きながらこんがらがるほど。
・・・読んでいて頭ぐるぐるする。
こうして、夢Qが悶えながら紡いだ<探偵小説>は「ドグラ・マグラ」となった訳ですが、<三大奇書>と畏れられて今なお強烈な存在感を放っているのは、その中に夢Qの葛藤の全てが込められているからなのでしょう。
この作品を書くために生まれてきたと言い、実際、その直後に急逝した夢Q。
大海を泳ぎ回るようなことをせず、井に深く潜って夢を見つけた人だったのだなと思います。