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マイフェイバリット探偵小説 昭和初期篇【9】

世界初のミステリ作家は、エドガー・アラン・ポー(1809-1849)だと言われていますが、それなら、女性で初めてミステリを書いたのは一体誰なのか?
調べてみると(Wikiですが)、アンナ・キャサリン・グリーン(1846-1935)ともシーリー・リジェスター(1831-1885)とも言われているそうです。(三人共にアメリカの人ですね)
世界初の女性ミステリ作家については、研究者の間で意見がわかれてはっきりしないみたいですが、日本における初の女性ミステリ作家はこの人だとほぼ確定されているようです。

松本恵子(1891-1976)

「お別れ公衆電話」のメロディが頭の中に流れてきたというあなた、それは、おけいちゃん(松山恵子さん)ですね。(古)

冗談はさておき。

数年前、私は図書館の全集とか叢書とかがまとめられている棚を眺めながら、なんかいい感じの古い探偵小説はないか…と色々引っ張り出してはパラパラ読むを繰り返していました。
その時に興味をひかれた一冊。
<論創社>の論創ミステリ叢書「松本恵子探偵小説選」

その名前を見た瞬間、ドレスに埋もれながらハンカチを振るおけいちゃんの姿が思い浮かび(古)、ああ、戸川昌子さんみたいに歌いながらミステリも書く方なんだな、とか勘違いしてしまったのですが、実際に読んでみて、いやいやそうでなかった、そうじゃなくて、日本の探偵小説草創期に関わるすごい人物なのだということがわかって、強烈に印象付けられることになったのでした。

現在ではミステリ作家というよりも翻訳家として有名な方のようで、そのリストを見ると「若草物語」「あしながおじさん」「小公子」「くまのプーさん」など、児童向けの名作がずらりと並んでいます。(ちなみに、当時のプーさんのタイトルは「小熊のプー公」だそうです)

注目すべきはミステリの翻訳。
大正時代末からすでにミステリの女王、アガサ・クリスティの翻訳を手掛けていたといいます。
後に自身でオリジナルの探偵小説を書くにあたり、クリスティから何かしらの影響を受けた可能性も。

そもそも、彼女の夫の松本泰(1887-1939)も同じく翻訳家かつミステリ作家という人物で、自ら「秘密探偵雑誌」(改題後「探偵文藝」)というミステリ文芸誌を刊行していました。その誌上で、仲間と共に海外のミステリの翻訳も含め、独自の探偵小説を数多く発表していたそう。
それで、その仲間の一人が、妻である恵子さんだったという訳です。

しかし、彼女が当時その誌上で名乗っていた筆名は、中野圭介という男の名前。
最初の作品「皮剥獄門」が1923年なので、時代背景を考えると、女の名前で表に出るのは難しかったのかもしれません。(タイトル凄いし)

前述の<論創社>の論創ミステリ叢書「松本恵子探偵小説選」の収録リストを載せますと、

「皮剥獄門」
「真珠の首飾」
「白い手」
「万年筆の由来」
「手」
「無生物がものを云ふ時」
「赤い帽子」
「子供の日記」
「雨」
「黒い靴」
「ユダの嘆き」
「節約狂」
「盗賊の後嗣」
「拭はれざるナイフ」
「懐中物御用心」

と、かなりバラエティ豊かです。

「皮剥獄門」は、江戸時代が舞台なので、探偵小説というか捕物帳の趣。
父の無実の罪を晴らすため…というお話ですが、探偵役が大事な人の無実を証明するために奔走するという筋は、「無生物がものを云ふ時」「雨」でも使われています。
大切な人のためという捜査の動機に、ほんのり感じる優しさ。
この時代の探偵小説に感じたことがなかったソフトな手触りに、最初読んだ時、新鮮な感動を覚えました。
古い時代の作品だけれど、古臭くないというか、モダンで爽やか。(殺人は起きますけれど)

思い出したのは、小沼丹。

読後の余韻がなんとなく似てるなあと思ったんです。
どちらも英語が堪能で英文学に通じていて翻訳もする人だから、何か共通の感覚があるのでしょうか。

ちなみに、彼女が探偵小説を書いていたのとまったく同じ頃、江戸川乱歩もまた日本独自のミステリを生み出そうと奮闘していました。
ただし、乱歩の舞台は「新青年」、松本夫妻の文芸誌とはまた別の場所です。
私が好きな系統は、間違いなく「新青年」ですが、松本恵子という魅力的なミステリ作家を知ってから、消えて行ったもう一つの文芸誌についても思いを馳せるようになりました。
(しかしまあ情報がない)

(つづく)

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