思い出の新春ミステリ(後篇)
前回↑↑↑の続きです。
1990年から1992年にかけてフジ系列で放送されていた、新春ミステリドラマ三部作。(主演は、いずれも森光子さん)
厳密には、
【1】「花迷宮 昭和異人館の女たち」(1990年)…と、
【2】「花迷宮 上海から来た女」(1991年)…が姉妹作で、
【3】「D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生」(1992年)…はまた別のくくりといった感じなのですが、
同じ脚本家(寺内小春さん)と演出家(久世光彦さん)のコンビで作られたミステリドラマということで、内容的には、【1】と【3】に似たものを感じます。
【1】は、関東大震災をきっかけに娘と生き別れた母親の物語でした。
そして、【3】の主人公・お雪さんもまた、同じ境遇にある。
え?でも、原作の「D坂の殺人事件」にそんな人物出てきたっけ?という話ですが、これは二時間ドラマ用に付け加えられた設定です。
<原作>における語り手の「私」が、<ドラマ>における主人公・お雪さんに相当。
ただし、明智とお雪さんの立ち位置が入れ替わる部分もあるので、正確には、
<原作>:「私」+明智=<ドラマ>:お雪さん+明智
・・・と言った方がいいのかな。
お雪さんには生き別れた娘を探すという目的があり、それによって、<原作>にはない人間ドラマが加味されるという仕組みです。
お雪さん&明智がD坂の古本屋で起こった殺人事件の謎を解くという大筋はほぼ<原作>通りですが、細かいトリック(密室の謎、電燈のスイッチの指紋、無双窓から見えた色)はドラマとしてよりわかりやすいように書き変えられています。
特に、密室の謎については、「屋根裏の散歩者」のエピソードに変更されているため、より一層乱歩濃度が増し増しに。
ちょっと調べてみた所、「D坂」に「屋根裏」をブレンドするというアイデアは他の映像化作品(1998年の映画)でも用いられているようです。
ちなみに、<原作>はどちらも初出が同年(1925年)で、具体的には、「D坂」が1月で、「屋根裏」が8月。
どちらも、長屋という建物が舞台なので、この改変に至るのは自然なことかもしれません。
その他、<原作>と<ドラマ>で異なるのは、蕎麦屋「旭屋」がカフェー「TANGO」に変更になっている所です。
その効果もあって、華やかでありながら退廃的ムード漂う昭和初期の空気感が、ドラマの中でうまく再現されていると思います。
(登場人物の変更、こまごまとした部分は割愛)
ドラマは、明智小五郎(郷ひろみさん)のナレーションで始まります。
【あらすじ】
◆時は、昭和3年(1928年)の晩秋。(※原作は夏)
所は、東京団子坂。
そこには、カフェー「TANGO」、古本屋「啓文堂」、「大町時計店」の三軒長屋があり、向かい合うように八卦見の露店が出ていた。
露店の主は、お雪さんこと岡島雪(森光子さん)。
いつも彼女は、客を待つ素振りで向かいのカフェーを伺っている。
そこの女給の中に、震災で行方がわからなくなった娘に似た子がいるのだ。
その女給の名は、井上文代(松雪泰子さん)。彼女もまた、幼い頃に生き別れた母親を探しているのだった。
――この役名からわかる通り、彼女の名前は、明智の妻の文代と同じです。
ドラマ中に両者が恋仲になることを暗示する描写があるので、この役名になったのでしょう。乱歩ファンに向けたお遊び。
この文代に相当する役も<原作>には出てきませんが、<ドラマ>では、殺人事件の被害者のキャラクターを肉付けする上で、重要な役割を果たしています。
◆その団子坂近辺で、若い女の絞殺死体が相次いで見つかる。
捜査に乗り出したのは、本郷署の小林刑事(いかりや長介)。
東京帝大で犯罪心理学を研究する明智小五郎もまた、学術的見地からこの地を訪れていた。
――乱歩の作品に明智が登場するのは、「D坂の殺人事件」から。
シリーズ化の構想がなかったようで、まだキャラクターが定まっていません。肩書も素人探偵どまり。
これは<ドラマ>でも踏襲されており、サブタイトルに「名探偵明智小五郎誕生」とあるように、明智のエピソードゼロ的な物語となっています。
◆雪と親しくなった明智は、彼女の露店でお互いの身の上を語り合うようになる。
そんなある日のこと、二人は向かいの古本屋の異変に気付く。
次々と万引きが出ているのに、店の者が誰も注意しない。そもそも店番の姿がない・・・
二人で店の様子を伺いに行くと、奥の間で古本屋の妻・らん子(佳那晃子さん)が絞殺されていた。
――<原作>では、白梅軒という喫茶店でだらだらしていた「私」と明智が、同様の事件に気付くという流れです。
この事件の動機や犯人については<原作>と同じなので、未読の方にネタバレしないよう伏せておきます。
以降は、<ドラマ>用に潤色された部分(お雪さんの物語)を、どうぞ。
◆お雪は、かつて「身代わりお雪」と呼ばれた名うての金庫破りだった。全ては女手一つで育てている娘のため。
しかし、十三年前、妹分の身代わりで刑務所に入っている間に起きた震災で、娘の行方がわからなくなってしまう。
その後は足を洗って八卦見となり、娘の居所を探す日々。
一時はカフェーの文代が自分の娘なのではないかと淡い期待を抱いたが、生年月日が異なることがわかり、その望みも潰えてしまった。
やがて、娘は玉の井に売られた後、首をくくって死んだことが判明する。こうなるまで娘をいじめて追い詰めた者こそ、同時期にそこで女郎をしていた古本屋の妻・らん子だった。
そればかりか、らん子は、玉の井に行けば母親に会えると騙して、文代まで売り飛ばそうとしている。
復讐心に燃えたお雪は、らん子を殺す決意をするが、その前に相手が何者かに殺されているのを発見してしまった。
――その過去を知る小林刑事と、らん子との因縁を知る明智は、一旦はお雪が犯人ではないかと疑います。しかしこれは、視聴者に向けたミスリード。
<原作>では、語り手の「私」が明智を疑うという部分に当たります。
◆疑いが晴れたお雪は、明智と共に事件の謎を追う。
しかし、二人が真犯人にたどり着いたまさにその時、文代もまたその毒牙にかかろうとしていた。
間一髪で文代を見つけ出したお雪と明智。
お雪は身を挺して文代を助け出すが、犯人はその目の前で自らを刺して果ててしまう。
――<原作>では、「私」と明智が犯人の自首を新聞で知る程度で、ここまでの展開はありません。
<ドラマ>でのこのシーン、犯人役の俳優さんの怪演がものすごいです。身震いします。リアルタイムで観た当時、しばらくはこの俳優さんのことが怖くて正視できませんでした。
◆明智と文代に見守られながら、傷の治療のために担架で運ばれるお雪。
去り際、彼女は明智に探偵になることを勧めるのだった。
――人付き合いを厭う明智にとって、犯罪者の心理は単なる研究対象でしかなかったのですが、お雪さんとの探偵ごっこを通して、そして彼女の別れ際の言葉によって、ある気持ちの変化が生じます。
その、最後のナレーション・・・
――映像化に際して、<原作>にはないキャラクターを投入してしまうと、その世界観が別物になるのではないかという不安が生じるものですが、このドラマに関しては、むしろお雪さんがいるからこそ、物語に深みが増して面白くなっているように思います。明智が探偵になる動機付けとしても、説得力が増すというか。
ベースとして<原作>の肝の部分はきちんと残されているので、元々の良さが損なわれることもない。
乱歩のミステリと人情ドラマがうまく融合した、素晴らしい脚本だと思います。
乱歩の映像化というと、どうしても官能的な部分が強調されがちです。
しかし、この作品には、そういう直接的なシーンは描かれていません。
それなのに、そこはかとなく漂う、乱歩のエロ・グロ・ナンセンス。
一体なぜ?
おそらくそれは、演出によるものだと思います。
随所に<神は細部に宿る>的な<色気>が忍ばされているのを感じるのです。
具体的には・・・
*オープニングのタイトルバックの物憂く妖しげな絵
(小澤清人さんによる「伽羅奢」と「黒船」)
*切なく甘いコンチネンタルタンゴ風のテーマ曲
(作曲は小林亜星さん)
*細かい部分まで作り込まれたセット
*おそらく当時物の小道具と衣装
(リアルな空気感!)
*不気味で美しい陰影を生み出す照明
*こだわりの配役
・・・個人的には、古本屋「啓文堂」の主人を演じた、英 太郎(はなぶさ・たろう)さんに心奪われました。
色気でいえば、妖艶な妻の方に目がいきがちですが、この、おとなしくいまいちぱっとしない地味な男から発する妙な色気が気になって仕方がないのです。
あまりテレビで見かけない俳優さんだったので、当時はその正体がわからず、ますます奇妙な気分になっていたのですが、だいぶ後にインターネットが普及してからやっと、どのような方なのか知ることができました。
なんと、新派の女形の方だったんですね。二代目・英 太郎さん。
そりゃ、色っぽいはず。
想像してください、名女形が演じる古本屋主人を。(贅沢!)
私は、このドラマのことがあまりに好きすぎて、脚本を丸々書き起こすという行動に出てしまいました。今回引用に使ったのは、そのノートからです。
そんな訳で、文字通りVHSのテープは擦り切れてしまい、今では視聴不能に・・・
この熱意が何かの神様(?)に伝わり、またいつかどこかで観ることができるようになるといいな、なんて思っています。