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中原中也 『汚れつちまつた悲しみに』の自己解釈
中原中也という人を知らない。
けれど【汚れつちまつた悲しみに】というフレーズを知っている人は多いだろう。僕もその一人だ。つい先日まで中原中也という人物に興味は無く短命だった人という情報とこのフレーズだけを知っていた。
古書店で初めて手に取ったのは1ヶ月程前で中原中也入門のような表紙だったから手に取った。パラパラと捲りながら大体を読み終えた後に、中原中也がどんな人だったかを調べてみた。
う~ん、とても豪快なエピソードと倫理観からは離れた人だという印象。しかし数多くの名作を残していて、それは時代を超えて令和を生きる僕にもしっかりと届き刺さっている。なので今日は代表作【汚れつちまつた悲しみに】を読んでの解釈と感想を残しておこうと思った。
汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる
この【汚れつちまつた悲しみ】というの筆者自身の事。そして人とはそういう物だと解釈した。汚れない人など居らず、大なり小なりそう感じている人は少なくないはずだ。
【汚れ】という物は=苦悩・虚無感・無力感から来ているのではないだろうか?たとえどんな綺麗な服で着飾っていようが、人本来の性質や本質はそれらを内包している。
【つちつまつた】これは物事や人・自身が変質してしまった事を表している。失ってしまったと嘆いたり、変質していく様を受け止めつつ過去の純粋で無垢だったものを表しているのではないだろうか。
【悲しみ】時代や環境の中で避けられない苦しみや喪失感・自分への失望と他人への失念で負った痛みを表現していると感じた。ここまで素直に書かれるとどれだけ自分の事を愛していて否定しているのだ。と近しい物を感じずにはいられなかった。自己嫌悪しながらも詩を書くことで自身をなんとか受けれようともがいている様子が目に浮かび、僕自身にもそれは投影された。
それはきっと【汚れつちまつた悲しみ】という物は人ならば誰しもが抱える物であり、時代や環境に違いはあれど万人共通の認識によって中也のこの言葉が届くのだろうと思える。
この詩を再び読む数時間後、数日後、数年後にはまたその時とは変質した汚れや悲しみを抱える自分がいるのだと思う。しかしこの詩がある事によって向き合い・それらの絶望にも似た感情から逃げ出さずにいれる気がするのは、中原中也が残したこの言葉のおかげかもしれないと強く思う。