ちさまひ尊いかわいいはズレてる?について

「ベイビーわるきゅーれ」という映画の話をします。

※わたくし、2024年にこの映画を知ったべビわる界隈超初心者です。初心者がなんか言ってるなくらいで温かい目で見守ってもらえると嬉しいです。

〇べビわる界隈に入ってみて感じていること

べビわる界隈の中に入り込んでみて、この作品には初期の頃からのファンがたくさんいて、ちさまひの解釈や映画の楽しみ方がさまざまな映画なんだなということを感じています。
ファンの年代や性別もさまざまで、昔から映画鑑賞が趣味の大人の男性もいれば、高校生の女の子たちもいるという感じ。
そして、べビわるを初期から支えてきた映画オタクのみなさんがいるからこそ、ここまで広まって新規のファンも増えているのは大前提だと思います。

でもその分、こういう楽しみ方の方がよくない?いや、楽しみ方なんて人それぞれでいいじゃん、みたいなべビわるファン同士の静かな言い合いみたいなものを目撃することがあります。べビわるファンと繋がってる方はわかってくれるんじゃないかな……。

楽しまれ方の種類は、おそらく三種類あって、①アクション②ちさまひの関係性③ストーリーかなという印象です。もっとあると思うし重複している人が大多数だと思います。

〇ちさまひ尊い勢の私が思うこと

最近べビわる界隈で話題なのは、②について。

②の楽しまれ方が邪道?というか、ちさまひかわいいちさまひ尊いばっかり言ってないでもっと映画のストーリーに注目するべきでは?というような意見を見かけました。

私は、ちさまひ尊い勢に分類されると思うので、正直この意見を見て少し悲しくなりました。
当たり前に映画としてストーリーも楽しんでいるし、作品が伝えたいことを読み取ろうと自分なりの考えも持っているのに、そんな風に思われちゃうのか、と。

まあでも、「ちさまひ尊い」って言葉だけを見ると確かにノリが軽い感じがするし、ちゃんとストーリーまでわかってる?って思われても仕方ないと思います。

〇そもそも「ちさまひ尊い」をもっと詳しく言語化した方がいいかも

「ちさまひ尊い」だけじゃ、何を意味しているのか伝わらなくて当たり前ですよね。完全に言葉足らずだと思います。

ということで、私なりの尊いの意味を説明させていただきます。

ここからは、個人的な話になります。

私は、ちさまひの友達、家族、恋人、どれにも当てはめなくても一緒にいられる関係性に憧れています。
そして、そんなちさまひが他人に口出しされることなく勝手に関係性をカテゴライズされるわけでもなく自然に存在するべビわるの世界をつくりだした映画監督、脚本家がいてくれるんだというところに驚いたし、そこが好きになったきっかけでもありました。

そういうの全部ひっくるめて、ちさまひは自分の味方のように感じています。

現実世界ではすぐに関係性をカテゴライズされてしまうからこそ、それがないべビわる世界を含めてちさまひは尊いと思っています。

確かに、この映画が語っていることってこれが本筋ではないかもしれないけれど、同じ現実を生きる人間が映画の中に「ちさまひ」を生かしてくれていることが嬉しかったんです。

マイノリティだからって被害者ぶりたくないし押し付けたくもないのですが、というかそもそもみんな何かしらのマイノリティなんですが、マイノリティに当てはまる女の子たちの憧れとしての「ちさまひ」という受け取り方を勝手だけど許してほしいなと思います。

恋愛主義の世間に息苦しさを感じていたり、同性の恋人がいたり、パートナーとして生活している人がいたり、そういう女性の味方になっていると思います。少なくとも、私含め私の周りにはそういうべビわるファンの方がいます。

〇長くなりましたが結局言いたいこと

ノリが軽く見えるからちゃんと見ていないと誤解されがちですが、ストーリーももちろん楽しんでいるし、アクションシーンもドキドキしながら楽しんでいるし、ちさまひ尊いにたどり着くまでにはみんなそれぞれの置かれた立場とかも含めてちゃんと中身はあるよ、ということを言いたいです。

ビジュアルとか、なんとなくの切り抜きとかそういうのだけふんわり掬い取ってはしゃいでるわけではないです。

ちさまひ尊いってはしゃいでいるところだけが目につきやすかったのかもしれません。

最後になりましたが、ちさまひを生み出してくれたすべての制作側の方々に感謝します。













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