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私の中に巡る言葉

先日は『優しさ』について考えてみたら、私の中には無かった。という結論がでて、自分でも少々驚いたの。

あー。私の中には『優しさ』って無いんだなぁ。そっかー。でも納得。無いなら無いでやっていけるもんだなwwwとかって思ったりもした。

私の中に巡っている言葉で、だいたい私が見ている世界はできあがっていて、他の誰かが見ている、感じている世界とはズレてる。そのズレが私が私であること。というわけで、なかなか気に入ってるの。

でね、夜ウォーキングをしながらいつも考えを巡らせている私の脳内に出てくる言葉たちには、命令形の言葉はほぼ登場しないって事に最近気がついた。

子育てを始めたばかりの頃、初めての育児に戸惑ったり、悩んだりしていた時、産後の身体はバランスが崩れてるし、睡眠は取れないし、でも責任はこれまで味わったことの無いほどの重責で、潰されそうだった。ほんの少しのきっかけで壊れてしまうような危うさを、産後のお母さん達は抱えている。産後うつなんてものもあるくらい不安定な状態の中でも、たった一つの救いとして赤ちゃんがそこにいてくれた。

子育てを通して学ぶ事の深さは、テキトーに生きてきちゃった私みたいなタイプには蟻地獄か〜と思うほど深い。そして長きに渡るもの。

産道を二人の赤ちゃんが通っていき、無事に難局を乗り越え、えっちらおっちらやりながら試行錯誤を繰り返してきて、ようやく半分のところまでやってきた。

振り返ると、子育ての始まりの頃の私の脳内には、命令形や、否定形の言葉が常に巡っていた。自分自身にかける言葉はもちろん、関わる相手に対しての言葉、返ってくる言葉もそんな言葉だらけ。どれが始まりだったのか?ではなくてその言葉の渦の中に私が存在していたの。

自分で自分にかけている言葉にとても疲れ果てていましたので、まずは、自分が使う言葉を変えようと思ったのです。使う言葉を変える事から始めて、最初に変わったのは周りでした。意外でしたね。本当に意外でした。相手を、変えたいと思っていなかったんですね。自分で唱えてる自分の中の言葉が一番苦しかったので、どうにかしたかったのです。

自分の中の言葉が変わるまでは少々時間もかかりましたし、コツを掴むのが難しかったりもしました。けれど、自分の為にしている事が、子どもたちや夫の言葉や態度、行動に変化をもたらしていくのが、とてもとても面白くなってしまったんです。

あぁ。家族ってそう言うものなんだ。

私は、家族に対しての『優しさ』として言葉を変えたわけでは無くて、私自身の自愛の為に言葉を変えようとした。だから、誰にも強制力が無い。強制力が無いからこそ影響が出たのだと。

私の中には、他者に対する『優しさ』といったものは無いのだけれど、結果的には『優しさ』に似たような効果が現れていたのかもしれない。

その事をわざわざ振り返らないと分からないくらい、私の中に命令形や否定形の言葉は使われなくなってきていたということだろうなと思っている。そして、家族だけでなく、友人との関係もずいぶん変わったなと感じています。

元々の私というか、生まれて育ってきた環境にあまり命令形が無いんです。

『〇〇しろ!』『〇〇でやれ!』『〇〇するな!』みたいなのとか

『がんばれ!』『負けるな!』『やり通せ!』
みたいなのとかね

『こうするべきだ!』『当たり前だ!』

みたいな

あっ。見事に語尾に!を付けたくなっちゃうな。そう言う感覚というか言葉は私の中にはあまりフィットしてこないんです。フィットする人もいるだろうと思いますよ。でも、私は聞いてるだけでも疲れちゃうんですね。なのに、自分に言い聞かせてたんです。こんなにも怠惰な私なのに、真逆の事をやってたらそりゃあ疲れて当然なのよね。気が付いてよかった。シフトチェンジが割と早かったからダメージが少なく済んだのかもしれない。

シフトチェンジする事にあまりためらいが無いのは変化を楽しむタイプだからなのかも知れないな。

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ボンボン
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