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評価経済社会について説明したら、発達障害児が納得して自己コントロールをしはじめたよ。
岡田斗司夫さんの、評価経済社会の概要を子どもたちにある程度わかるように説明したら、発達障害児が自分の行動を改めようとしたり、自己コントロールをしはじめるようになったよ。と言うお話し。
岡田斗司夫さん。面白すぎるwww
発達障害(ASD/ADHD)の次男は現在、小学3年生。
反抗挑発症とまではいかないまでも、イライラを抑えられなかったり、相手への言葉に暴言が含まれたり、素直に『はい』が言えなかったり、『ごめんなさい』が言えなかったりなどなど、人間関係を築きにくい要素をたくさん持っている。
兄ちゃんから、お笑いをダウンロードされてずいぶんマイルドになったし、人間関係をつくれるようになってきてはいるものの、反抗したり、挑発したりが、強く出すぎたことでの失敗も多い子どもです。
無駄な争いという状態が増えて、サポートが受けられなかったり、仲良くしたい相手との間に亀裂が入ってしまったり。本人もそこが悩みの種でもあった。
しかし、発達障害児とって、相手の立場を想像したり、相手の気持ちを考えてから行動する。というのはかなりの困難が伴う。ゆえに、その手の説明は通じない事が多いし、通じていてもできるとは限らない。そして、やる気になんてならない。
事が起こってしまった後で、この時はこうした方が良かったんだよ。と教えることはできても、未然に防ぐ事はできないでいた。
彼の良さを発揮する為にも、反抗、挑発を乱発するのはよろしくない。反抗や挑発も上手に使えばメリットもあるだろうけれど、これまでは、デメリットばかりが目立つ状態が続いていた。
反抗、挑発の為に無駄に使われていたエネルギーをもっと好きな事や、嫌なことをやりとげる為の力に使えた方が本人も楽だろうに。
しかし、これをそのまま伝えた所で、それなりに理解するかもしれないが、もって生まれた要素を抑えるだけの効果は無い。彼にとって、その程度の論理展開では不服なのだ。
相手の立場や気持ち云々の話ではなくて、もっと彼にとって分かりやすく受け入れやすい説明が必要だった。
夫も同じ発達障害(ASD/ADHD)だけど、息子とは決定的に違う部分がある。
夫はとても感覚的に生きている人。ものすごい高性能のセンサーが付いているんだろう。論理展開よりも、センサーが作動するのかどうかの方が彼にとっては重要な判断材料なのだと思う。
親子で、同じ発達障害であっても、全く別の人格を持つ息子は、とっても論理的な子ども。
子どもだましは全く通用しないし、はしょった説明では通じない。いや、通じているかもしれないけれど、それがどうした?ってな具合なのです。
この傾向は、おしゃべりを始めた1歳2ヶ月の頃から見られる傾向で、今に始まった事ではない。大きくなるにつれ、顕著に現れている。
基本的に、息子にはまずダウンロードが必要で、一旦完全版をダウンロードして、そこからだーっと降りてきてそして、初めてスタートラインにつく。そこからようやっと一歩を踏み出すことができるのだ。
こうした傾向のある子どもたちは、小学校で先生がしてくれる説明では、まぁ物足りないというか、理解に苦しむのだと思う。
定型の子どもたちは、内容を理解できていなくても、まず行動から教えて行くことができたり、全体像がわからなくても、前に進むだけの力がある。だから、とにかくやってみせたり、体験させたりすることが重要であるとされるし、ゴールがわからなくても、スモールステップでやっていけばいずれ分かるときが来ると思われている。
だからといって、定型の子どもたちに論理ではなく、感情や情況を具体的に示すことのみで接してしまうと、思春期あたりで大人を嫌悪することになる。論理的な思考力を持っている子どもたちは、大人たちからバカにされたと思い、大人たちを軽蔑したり、反抗したりする。
定型の子どもだって論理が十分に通用したり理解できる子はたくさんいるのに、どうしてそんなに子どもたちを幼児扱いするのか…
定型の子どもたちならば、論理が無くてももちろん上手に理解する。ところが、発達障害の子どもたちの中には、論理でしか理解できない子どもたちがいるのだ。
そうした論理的思考のみで日々を運転していかなくてはならない子どもたちにとって、小学校生活で担任の先生が論理的な話をしない。あるいは、感情的な説明をする先生だった場合、なかなかの苦しみを味わう事になる。1年生の頃の担任の先生がそうしたタイプの先生だった。
発達障害の次男は論理的な思考で日々をやりくりしなくてはならない子。兄は、論理的な話がちゃんと通じる子。
私は…感情的になりやすい要素をけっこう持っているから、子どもたちとの会話や接し方にはかなり気を付けないといけないし、勉強も必要。でも、これがなかなか楽しかったりする。
その日は、ちょうど子どもたちが反抗&挑発&ケンカ&責任を果たさない(宿題やらないとかそんな程度)などなど、めにあまる行動の数々を乱発しておりまして、いい機会だなと思った。
夕食をたべながら、母ちゃんは語り始めましたよ。
論理武装している大人たちの本やら、YouTubeやら、note やら、何やらから息子に通じる論理を引っ張ってきて、それを小学生が理解できるような言葉に変換し、小学生が日々ふれあっているようなエピソードに作り替え、長い話をエクストリームにぎゅっと凝縮して、お伝えしましたよ!
時代は、子ども達の祖父の生まれた昭和初期辺りから始まり、高度成長期そして、私が子どもだった昭和の終わりから平成へ。バブル崩壊から不況へ突入し平成から令和の時代へ。お金がどんな価値があったのか。人々がお金持ちを目指し、お金持ちが享受できた地位や影響力やサービスなどなどのお金の話、不況の時代にやってきたIT革命と、インターネットがもたらした新しい社会。
そしてようやく、岡田斗司夫さんの評価経済社会についてを、子どもたちが大好きな、ユーチューバーさん達をモデルに話して、さらに中国の芝麻信用で行われていることを説明し、このような流れが自分達の生活の中にどんどん入り込んで来ること、すでに始まっている流れの中に自分達が居ること。
そんな膨大な説明を経て、発達障害の次男に届く論理となり、ようやく納得。
納得できて、ダウンロードが完成すればこっちのもんなんです。そこからは、本当に素直にピュアに、ストレートに取り組んでいける子。
しっかり納得できたので、すぐさま自らの行動や言動を改めようとする動きがみられました。
自分の行動を自分でコントロールしていこうと努力するスタートラインに立つことに成功しましたよ!
それからと言うもの、ほんの小さな、気づきの瞬間を見逃さないように観察し、『良く気がついた』と認め、未然に防ごうと努力していることを『よしよし。それでいい』と励まし、これまでならば怒りを露にしていた所を制御したり、シフトしているときには、『えらいっ!とってもいい感じ』と誉める。
そんな良い循環へ、ようやく進むことができました。
いや~長かったwww
だけど、ものすごく楽しい。この楽しさがやっぱりやめられないんだよなぁ。子育てってとっても楽しい。
息子たちの、合点のいった顔。
あれを見せられちゃうと、疲れはぶっ飛ぶし、これまでの苦労が、全部消えて無くなって、空からキラキラしたものが降ってくるような、後光が射したような、なんとも言えない輝きが待っている。
多分、この輝きが見たくて、私は子育てをやっているんだろうな。
子どもたちが輝いている姿。母ちゃんはこれからも見たいのだよ!もう本当にステキだよ!シミだらけの母ちゃんとは大違いだよ。
君たちの未来は輝かしい!
応援してるよ~!
とってもいいよ!いいよ~!
その後、子どもたちは、関暁夫さんのゾルタクスゼイアンの卵たちへをご所望になり、交代で読んでおりますww
どんな子に育つのやら。楽しみな子どもたちだ!
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