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タタール語しか話さなかったモスクワ旅行

タタールスタン留学中の思い出を振り返る「旅の思い出」シリーズ。第1弾では、タタールスタンのお隣、マリ・エル共和国の首都ヨシカルオラをとりあげました。

第2弾は、「タタール語しか話さなかったモスクワ旅行」です。なぜタタール語しか話さなかったかというと、同行者のフィンランド人の友達も、モスクワで出会った人たちも、みんなタタール語話者だったからです。

フィンランド人の友達ロビンは、私と同じく外国語としてタタール語を学んだ「珍しい外国人」の一人でした。なので、一緒に色々なタタール関係のイベントに招待されていました。モスクワに行ったのも、タタール関係のイベントに招待されたからでした。

彼とはいつも、タタール語で話していました。日本人とフィンランド人がタタール語で会話するという、かなり珍しい状況が生まれていました。私たちの間でタタール語は、共通語として機能していたのです。

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2015年2月13日の夜10時ごろ、ロビンと一緒に、カザン発の夜行列車でモスクワに向かいました。乗ったのは3等車(開放型寝台)で、横になれるのでかなり快適でした。電車は、時々数分停車を繰り返しながら、ゆっくり滑らかに西へ走り、翌日の朝10時ごろにモスクワに着きました。

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乗っていたのはこんな感じの列車です。一両目の動力車が、後ろの客車を引っ張るタイプだったと思います。飛行機で行けば1時間半ですが、夜行列車でのんびり行くのも悪くないと思いました(値段もかなり安いですし)。

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その後、泊めてもらう予定だったタタール人の知り合いの家で一休みしました。もちろん、会話はタタール語でした。モスクワの団地は、カザンの団地に比べると規模が大きく、圧倒されました。

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その後、モスクワ地下鉄で赤の広場に向かいました。運賃がカザン地下鉄の2倍ほどで、同じ国なのに物価がここまで違うのかと驚きました。

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赤の広場の建築物はどれも荘厳で、ワクワクが止まりませんでした。右の二つの塔の下をくぐって敷地に入りました。

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電飾が施されていたこの建物は、グムと呼ばれる百貨店。

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グムの中はこんな感じでした。

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ロシアのシンボル「聖ワシリイ大聖堂」は、想像していたより小さかったです。ちなみにこの聖堂、イヴァン雷帝のカザン征服を記念して建てられたものです。言い換えれば、タタール征服を記念した建物がロシアのシンボルになっているということです。タタールの人たちはどういう気持ちでこの建物を見ているのでしょうか。私は少々複雑な気持ちになりました。

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赤の広場を出て、招待されていたイベントの会場に向かいました。この塔は、赤の広場やクレムリンの付近だったと思います。

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道中では、よくロシア関係のニュースで流れるクレムリンの風景を、この目で見ることができました。これぞロシア、な風景です。

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その後、カラフルな建物が並ぶおしゃれな通りを歩いていると・・・

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そこにはあの丸亀製麺がありました!今は「マル」という名前で営業を続けているとか。

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そこからほど近いところに、「タタール」の名が付いた小路がありました。

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そこにあったのが、イベント会場の「タタール文化センター」。モスクワでタタール語を見て、テンションが上がりました。モスクワには15万人ものタタール人が住んでいるとのことで、ここでは様々なタタール関係のイベントが行われているようです。

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中には教室があり、Милләтнең киләчәге - яшьләр кулында!「民族の未来は、若者たちの手にある」というタタール語のスローガンが掲げられていました。ここではタタール語の授業などが行われているそうです。

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中には教室だけでなく、イベント用のそこそこ広いホールがあり、ここで歌や踊り、クイズ大会などが行われました。印象に残っているのが、当時まだ12歳で、この1ヶ月後にロシアの有名な歌番組に出演して脚光を浴び、今や有名歌手となったサイダさんです。

イベント前に控室のようなところで、私とロビンにあいさつしに来てくれたサイダさんは、圧倒的な歌唱力を披露してくれました。その時歌っていたのが Су буйлап「ヴォルガの岸辺で」という有名なタタール民謡。あまりにうまかったので感動したのを覚えています。

以下が歌番組でのパフォーマンスです。彼女はこの番組に出てから一気に有名になりました。

翌日は、ロビンと別行動でした。タタール人の知り合いと一緒にタタールの有名な詩人ムーサ・ジャリルの像の前で行われたイベントに参加し、その後、知り合いの家に招かれてお茶をするなどしました。

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帰りは車で駅に送ってもらいましたが、時間がぎりぎりで、出発直前に何とか飛び乗ることができました。列車はロビンと同じでしたが、車両は別々でした。タタール語しか話さなかった1泊2日(列車を入れると3泊4日)のモスクワ旅行を終え、2月16日にカザンに戻りました。

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