今のための価値を、今提供できないか
新規事業を構想していると、最近思う事があります。
消費者としての我々は、将来のために今を我慢して貯蓄したり、節約したりしています。また、老後が心配で、目標となる金額を決めて、今を我慢。
この我慢はいつまで続くのでしょうか?社会人生活30年の大半はこの我慢に費やされるとして、リタイアしたら我慢を終了して、いよいよその蓄積を使って今のために生きる事ができるのでしょうか?
老後になったらなったで、1年後や数年後の価値のために今を我慢して節約生活しているような気がします。
この、無限連鎖から離脱することが、今を生きるために必要な事なのかもしれません。なんてことを考えていたら、
こういう本がありました。
Living For Today (今のために今を生きる)、「その日暮らし」という言葉をネガティブに使ってきましたが、未来が極めて視界不良な時には、むしろこのその日暮らしのスタイルが、柔軟で、時にはチャンスをつかむのに好都合な生き方なのかもしれないと思いました。
30年以上前のインターネットの初期段階や今回の生成型AIの進化など、これらの動きを捉えて、自分の生き方に反映できるのは、結局柔軟さを備えて生きている人なのではないか。インターネットは個人としては知りながら使いながらも、所属する組織や会社の仕事では利用が進まず何年も過ぎ、自分のためにフルに活かせた人というのは、結局その波に、どっぶりとその日暮らし感覚で乗れた人たちだったのだろうと想像します。
昨今のChatGPTブーム、これは私たちの生活を大きく変えると思いますが、これに公私ともに乗っかって、生き方そのものまで変えるためには、生活まるごと柔軟なその日暮らし的感覚を持ち、隙あらばトライして取り入れることが大切ですね。
この、その日暮らし感覚を生活に活かせるサービスって、できたら楽しいと思う週末です。
皆様良い週末を