夜行バスによる孤独感
一人旅をするときに夜行バスを使うことはあるだろうか。他の交通手段に比べ安価であることが多いため座り心地や周りの音などが気になることは多い。
しかし、プロの運転に身を委ね、意識を暗闇の底に沈めて仕舞えばあっという間に目的地へと到着する。
目的地に足をついたとき、周りの空気の凛とした澄み具合や、肌寒さで移動した距離の長さを感じることは多い。
私の孤独感は夜行バスで産まれた。
夜行バスは外から光が入らぬ様カーテンが閉められている。睡眠の為には必要なことであるが、起きている状態で周りの景色が見えないことは人間の本能から不安を感じる。
そして意識が沈んで仕舞えば目覚めたときには
離れた場所にいるのだ。どのような道で来たのかわからない。眠っていたのにも関わらず愚かな帰巣本能がざわめく。
ただし、本来願っていた楽しみはそれらの本能を抑えることができる。ある程度観光を楽しめているうちはそう言った気持ちも薄れるかもしれない。
しかし私の様に一人旅の中で現地の人とコミュニケーションを取らないということは、その地での繋がりをなにも保たぬ状態である。
それは鉢植えを植え替えるときにおこる、
土を払った白い根が手の震えやそよ風でブルブルと大袈裟に震えるのと同じことである。
ただ漠然と不安なのである。移動時に元の地との繋がりを断ち、現地でも人との繋がりを断つことは社会性により種として命を繋いできた人としての
生命線を断つことに同じであった。
旅行を楽しんだ後、不本意ながら雨に降られ
地方の駅で帰りのバスを待っていると、
都会よりも遥かに早くに閉まった商業施設や飲食店の闇が私の不安を煽るのだった。
人として生きる上で何が大切か考えた時、一人旅で思ったことは人、土地どちらかにおいても繋がりを感じ、大切に思うことの重要性であった。
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