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今後の方針について

 私はこれまで、このアカウントでショートショートの作品を中心に投稿を続けてきました。私は文学が好きで、将来的になんらかの形で文章を書いて生活していきたいという思いがあり、そのためのトレーニングのつもりで、そのようなことをやってきました。

 しかし最近になって、作家になろうという野心は、完全に潰えてしまいました。趣味として作品を書くことまで完全にやめてしまおうとは思わないのですが、少なくとも作家としてプロを目指すことは、完全に断念することにしました。

 その背景としては、ここ数か月、ノーベル賞受賞作家のハン・ガン氏や、芥川賞受賞作家の平野啓一郎氏などの現代作家の本を読むようになったことが大きいです。結論から言うと、どうも私のような人間は、現代作家には向かないらしい、という考えに至ったのです。

 私は最近まで、古典文学を中心に読書をしてきて、生きている作家の本は、村上春樹氏やカズオ・イシグロ氏くらいしかまともに読んでいませんでした。それで現代文学のトレンドにはすっかり疎かったのですが、どうも「現代の作家には、複雑化する現代の様々な社会問題に当事者として関与し、答えのない問題やこの世の地獄をありのままに見つめ、それらについてとことんまで考え抜いていく、という姿勢が求められるらしい」ということが、私が最近得た気づきなのです。

 もちろん村上氏やイシグロ氏も、素晴らしい作家だと思います。今でもその考えは変わりませんが、しかし彼らは80年代にピークを迎えた人たちであり、一世代前の、インターネット以前の世界の成功した作家たちです。彼らは本が売れた時代の作家で、当時の世の中は、もう少し穏やかでした。彼らの共通点は、若くして作家として劇的な成功を収め、世間の喧騒を超越したところから、ユニークな視点を提供しているところだと言えます。

 それに対して、ハン・ガン氏や平野氏などの現代作家は、世の中にリーチし、実際に手触りを確かめながら、答えの出しようがない現代社会の病理にアプローチしているように思います。少なくとも平野氏は政治的な発言も多くされていますし、彼らの作品や発言から私が感じるのは、(卑近な言い方ではありますが)例えばSNS上に寄せられたクソリプの一つ一つに対して同じ目線に立ち、それらに真摯に向き合っているような、そういう姿勢です。

 「トム・ソーヤの冒険」などを記したアメリカ人作家のマーク・トウェインが、若手の作家に「世の中を描こうと思うなら、ポケットに手を突っ込んでそれを見ていてはダメだ。世の中に対して実際に手を伸ばし、触れなければならないのだ。」と語ったというエピソードがありますが、今の時代の作家には昔の作家以上に、そういう姿勢が求められているのだと思います。

 その背景にはインターネットが普及し、そもそも本が売れない時代に入ってしまったことや、世の中に分断が生まれ、人生の共通解がなくなってしまったことなどがあるのでしょう。今の時代に多くの人から共感を得られる作家であり続けるには、世の中の傍観者であってはならないのだと思います。

 翻って私自身はというと、人生がそれなりに上手く行っている感覚があって、今のストレスがない生活を犠牲にしてまで、悩んでいる人たちと一緒の視点に立とうなどとは、とても思えないところがあります。そういう人間は、今の世の中では作家としてやっていくことは不可能だろう、と思っているのです。

 とはいえそれでも、私はなんだかんだ言って、文学が好きです。ですから、少しでもそれに関わっていたい、という思いもあります。ですので、折衷案のようなものですが、なんらかの形で文学の翻訳者になる道を、模索することに決めました。つまり、私自身は翻訳のトレーニングに全振りするべきだ、という結論に至ったのです。

 そういうわけですので、これからもショートショートの投稿も細々と続けていくつもりではいますが、そちらの方は抑え気味にすることにしました。ひょっとすると、読書感想文の投稿が増えるかもしれません。まあ、こんなことをいちいち宣言しなくとも、私が書いた記事をどのくらいの方が継続的に読まれていたのか、甚だ疑問ではあるのですが、とにかく今後はそういう方向でアカウントを管理していくつもりをしている、というお話でした。

 どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。

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