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ショートショート:「精神論」

 今年も受験のシーズンが近づいてきた。この季節になると、いつも思うことがある。「教育者として生徒に一番伝えなければならないことは、精神論である」と。

 私は大手予備校で講師の仕事を、何年もやってきた。個人塾も経営していて、少々値は張るが、個別指導をすることもある。正直に言うと、私としては個別指導の方が面白い。生徒により深く介入していけるからだ。今回は、私がその個別指導を通じて色々な生徒の人生を観察してきて思うことを、少し話したいと思う。

 さて、今の世の中では、「親ガチャ」なんて言葉が流行っているらしい。生まれ持った才能や、生まれてきた環境は選べない、世の中はなんて不平等にできているのだろう、ということらしい。

 確かに今の時代は格差が開いていて、人生の成功を経済的な側面だけで判断するならば、そういう議論も一理はある。例えば東大に進学する生徒の大半が、もともと勉強に向いた頭をしていて、しかも親にも子供を塾に通わせることができるだけの経済力がある家庭に生まれついたという事情があることは、否定できないだろう。そして、東大を卒業した学生と、いわゆるFランク大学を卒業した学生とでは、あくまで平均で見ればだが、経済的、社会的な成功を収めているのは、前者だろう。そのことに、否定の余地はない。

 しかし、「親ガチャ」の議論をする人たちに欠けている視点は、人間には持って生まれた天分のようなものがあって、その中で最大限努力することにこそ意味がある、ということだと思う。

 つまり、こんなことを言うと、偏差値で人間をランク付けしているかのように思われるかもしれないが、私はこの業界に長くいて、ある種の視野狭窄に陥っていることを自覚しているからこそ、言わせてもらいたい。偏差値50の人間にはそれなりの生き方が、東大を目指せる人間にはまた別の生き方が、あるのである。

 努力して偏差値50の大学にしか行けない人間も、世の中には大勢いるだろうし、そういう人の人生を経済的な側面のみから見れば、東大生の人生よりも劣っていると言えるかもしれない。

 だが、彼らも人生の節目、節目で彼らにしかわからない苦労を乗り越えていかなければならないのであり、彼らなりの歩みを止めてしまった時点で、人生が立ち行かなくなってしまうものなのである。その点は、東大に行こうが、あるいは医学部に通って医師免許を取得した人でも、変わらない。

 受験というものは、人生のレールを決めてしまう側面は、確かにあると思う。しかし、受験で勝ち抜いて、エリートのレールに乗る権利を得たとしても、そのレールを最後まで走り抜けられるという保証まで得たことには、ならないのである。

 そして考えてみればわかるが、世の中の大半の人は普通の人たち(偏差値50前後の人たち)なわけで、彼らは彼らなりに人生を生きているということは、普通の人のレールも、多くの場合は人生の最後まで続いているということなのだ。つまり、仮にエリートのレールに乗れたとしても途中で脱落してしまえば、それは普通以下の人生になるということなのである。

 「親ガチャ」とか言って嘆いている人たちは、自分の人生のレールを歩んでいく努力を、蔑ろにしてはいないだろうか?最初にどのレールに乗れるかばかりを考えて、自分なりの人生の歩みを進めることを、怠ってはいないだろうか?

 私の過去の教え子たちでも、あまり偏差値が高くない大学に進学した者もいれば、偏差値の高い大学に進学した者もいるが、進学した大学の偏差値に関わらず、その後の人生が上手くいっていない者の大半は、大学受験のときに逃げるような選択をした者たちである。

 身もふたもない話だが、受験勉強にも向き不向きがある。受験は、一日同じ時間勉強したからといって、全員が同じ成果を出せるという分野ではない。それでも、自分なりにやらなければならない努力、追い込みというものはある。例え偏差値がそれほど高くない大学に進学した者でも、ギリギリの戦いを制して落ち着くところに落ち着いた者は、それなりの人生を歩んでいくものである。しかし、例え有名大学に合格しようが、医学部に合格して医師免許を取得しようが、それが単に本人の才能に頼った結果、あるいは追い込みを避けて逃げの選択をした結果のものであれば、かなり危ういと言わざるを得ない。長い目で見た場合に人生で躓くのは多くの場合、そういう者たちなのである。

 大体、他人が追い込まれて必死になっているときに、自分だけ悠長に過ごせると思う根性がおかしいというものだ。才能がある者はそれなりに、他人よりも努力を続けてトップを走り続けなければならないし、例え運や才能だけで社会的に優位な立場を得たとしても、そこにかまけてしまえばとんでもない落とし穴が待っているのが、人生なのである。

「他人には他人の、自分には自分の人生がある」

 という言葉があるが、人間は誰しも自分に与えられた土俵で、最後まで戦い続けなければならないのだ。私はそのことを、長年の指導経験と、多くの教え子たちの人生の観察から学んできた。だからこそ、受験生たちに私は訴えたいのだ。

「最後に勝負を分けるのは、気持ちの差だぞ」

 と。


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