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ショートショート:「メリトクラシー」

 ある国の王さまが、どうすれば国を豊かにできるかに頭を悩ませ、側近の大臣に話しかけた。

「大臣よ。我が国を豊かにするためには、何をすればよいだろうか?」

大臣はしばらく考えて、以下のように答えた。

「我が国では、世襲で役職が決まり、どれだけ成果を上げても報酬は変わらない、というように、個々人の能力を生かす場が乏しいのが現状でございます。この機会に、能力主義を導入されてはいかがでしょうか?」

 大臣がここで言う能力主義とは、例えば王宮に仕える官僚を選抜する際に、世襲やコネで候補者を選ぶのではなく、試験を課して選抜し、その上で、実際に仕事で成果を出していった者を重用していく、というものである。大臣の説明では、そうすることで人材が適材適所に配置され、競争が促されることで労働者のパフォーマンスが上がり、国全体としても豊かになっていくだろう、ということだった。その説明を聞いた王さまは納得し、その国で能力主義が導入されることになった。

 能力主義は、あらゆる分野で導入された。例えば農民なら、より多くの畑を耕せたり、より質の高い作物を生産できたりする者が「有能」とされ、そういった者に優先的に、土地やお金などの資源が分配されるようになった。一方で、目に見える成果を出せない者は、例え先祖代々の役職や土地があったとしても、容赦なく剥奪されることになった。この新しい王さまの方針に不満がある者も間違いなくいたのだろうが、能力主義の統治に異を唱えるということは、自らが無能であると吐露することと、同じことである。したがって少なくとも表面上は、能力主義はその国で受け入れられることになった。

 何年か経つと、能力主義を導入することが、どのような結果をもたらすのかということが、次第に明らかになってきた。確かに、世襲やコネなどが有利に働くことはなくなり、もともと持っていた高い能力を存分に生かして以前よりもはるかに豊かになる者がいた一方で、以前もっていた地位や豊かさを失い、路頭に迷う者も出てきた。まあそれは予想の範囲内と言えたのだが、王さまや大臣の当初の計算とは裏腹に、能力主義を導入したからといって、国全体が豊かになるということはなかったのである。

 つまり、王さまと大臣は、競争を促すことで国全体が豊かになると考えていたのだが、皮肉なことに、能力主義の導入によって促された競争というのは、限られたパイの奪い合いの競争に過ぎなかったのである。例えば、少なくとも数年と言う短いタイムスパンで見れば、競争が促されたからと言って、もともとその国にあった農地の面積が広がったり、品種改良が起こって作物の収穫量が増えたりするということはまったくなく、実際に起こったことは、仕事ができる人に仕事や、その結果得られる富が集中しただけで、結局は限られた資源の分配の仕方が変わったに過ぎなかったのである。

 これは、まったく予想していなかった結果だった。さらには国の内部での競争を促したことで国全体の雰囲気もギスギスし始め、「王さまが今の地位にいるのも世襲によるもので、国民には能力主義を強いておきながら、なぜこんなことが許されるのか」と考える者も増えていった。そしてしまいには、「王さまにも能力主義を導入すべきだ」と考えた者たちが、前述のような理由でまったく国を豊かにできていなかった王さまを「無能」だとして、クーデターを起こしてしまった。

 どうにか王宮から逃げ出した王さまは、田舎に身を隠すことになった。クーデターを起こして王宮を乗っ取った者たちは、当然、能力主義の権化のような百戦錬磨の官僚や軍人たちだったから、彼らが国を牛耳る限りは、能力主義の統治が続くことになった。王さまは田舎で息を潜めながら、新しい政府に不満を持つ者たちと連絡を取り合い、王宮を取り戻す機会を伺うことになった。

 ところがしばらくして王さまは、王宮を奪回できるチャンスは絶望的であることに、気付くようになった。能力主義の統治の中では、能力がある者は自然に報われることになるので、能力主義の統治に不満を持つ者とは、基本的に能力に欠けた者たちであったからである。確かに、能力主義の結果、先祖代々の役職や土地を失ってしまい、統治のやり方に不満を持つ者たちも、かなりの数いた。しかし彼らが、知恵や行動力に欠けていたことは、否定できなかったのである。王さまも、例えそういう能力に欠ける不満分子を率いたとしても、能力主義のシステムで成り上がっていった今の王宮を牛耳る強力な官僚や軍人たちに、勝てる気がしなかった。

 その後、王さまは農民のふりをして潜伏先の田舎で暮らすようになったのだが、子供の頃から野良仕事に慣れていたわけでもない彼が、農民として有能なわけはなかった。彼は失意の中で、どれだけ努力しても貧困から這い上がれない苦しみに、喘ぐことになった。彼は、大臣の言葉に従って、安易に能力主義を導入してしまったことを、深く後悔した。世襲で王さまの地位を得ていた者が、能力主義の統治を導入することは、はじめから矛盾していたし、そのことがわからなかった時点で、王さまは能力主義には向いていなかったのである。

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