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「異人たち」 これは観たものの「無自覚の差別性」の試金石である

「異人たち」観てきた。オリジナルは山田太一の小説「異人たちの夏」であり、大林宣彦監督作(脚本は山田ではなく市川森一)の映画版も高評価であり有名。その作品を英国のスタッフ、キャストにより再映画化である。先ず言っておきたいのはこの映画の監督自身がゲイである事だ。これを知らずして観ると映像の展開に違和感を感じる人もいるだろう。感想のいくつかを見たが「大好きな山田太一(若しくは大林宣彦)野作品をこの映画によって「穢された」と思っている人の多さだ。しかし敢えて言う。今回の英国再映画化は(タイトルにあるように)「観たものの無自覚の差別性の試金石」であると言える。山田太一や大林宣彦が認識しなかった「LGBTQ」への視点が中心になつている。みていて確かにアダムとハリーの同性愛的描写が多かった。これに違和感を感じたと言う感想も多い。しかし、ラストの描写、そして流れるフランキーゴーズトゥハリウッドの「パワーオブラブ」のもつ性別も生死さえも超えた愛の普遍性(フランキー〜はリラックスがゲイ間のアナル・セックスを歌ったものであり、批判も多く、BBCやNHKでも放送禁止になった)に就いての映画と感じ、そして自身の持つ「愛への認識」―例えばその中に他者を排する「無自覚の差別性」が内在していないかを問われる映画だったと感じた。

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