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ノーランと塚本晋也〜「オツペンハイマー」と「ほかげ」
多分「オツペンハイマー」についてはこれが最後の言及にするつもりだ。昨日「オツペンハイマー」の二度目の鑑賞を終えた。一度目にはわからなかった部分、特に彼の周辺にいる数多くの物理学者ー有名な俳優が演じるーくらいはどういう人物が把握していたほうがいいだろう。そのへんの流れが理解しているとトリニティ実験から原爆投下に至るまでの話がより迫真的に捉えられる。私はこの間震えが止まらなかった。それとあまりこれに言及されていないが、日本の原爆投下に際して何処に落とすかという決定会議でのセリフ「この国は首都を爆撃され十万人もの死者を出しても戦争を止めない国」である。それと強烈だったのがプッシュの登場だ。プッシュは直接には原爆には関係しない。しかし、自殺と言われているジーン・タㇳロック暗殺の首謀者という説もある。彼は少年時代にわざわざ共産革命時にアメリカから参戦して共産党員を殺しまくった筋金入りの反共であり、朝鮮戦争以降、拷問や要人暗殺等ダーティワークを担当したヤバいやつだ。それと今回気がついた事といえば、2つの映画のことであるが、両者は映画の規模も作風も異なる。だが、二度目見終わって感じたのはこの二人の異色監督の映画のことである。二人共所謂エンターテイメントの作品を撮る監督である。しかし、この二人は並のエンタメは撮らない。塚本の作品をを私は「バロックエンタメ」と呼んで評したことがある。(因みにバロックとは歪んだという意味がある)ノーランも所謂巷で言われるエンタメから逸脱した作品を撮つて来た。塚本もノーランも゙エンタメを取りながら世界が危険な方向に(勿論核の問題だけではない)使っている事に気がついていたのだろう。それが塚本の戦争3部作でありノーランの「オツペンハイマー」である。能天気な核への扱いを見せびらかしてしまった「インディジョーンズ」のスピルバーグが作った「シンドラーのリスト」(モノクロ画面に赤い傘を振り回すエンタメをうっかりやってしまつた)やホラーかと見える歪んだ残酷描写の「ミュンヘン」など、不思議な映画もあり(今回のスピルバーグの沈黙が不気味)ある意味この「オツペンハイマー」ば「地獄の黙示録」に次ぐ「加害者目線」の映画である。また、塚本は次回作で戦争を題材としたものを最後にしたいと考えているそうで、本来は「ほかげ」より先に考えていたそうだが、規模が大きくなリすぎるので見送ったらしい。塚本は海外でも評価が高いのだから、海外での出資作品で戦争を背景にしたエンタメを撮るのもいいんじゃないが。