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草履と烈女



「あ~、急がなくっちゃ!

 お察(さつ)、時間がないから、

 髪を束ねるだけでいいわ、

 櫛(くし)を、挿(さ)してね。」



察「はい、お道(みち)様。
  
  ご正室様の、急なお呼び出し。

  急ぎといえど、

  お道様に、恥をかかせるわけには、

  参りませんので・・・

  はいっ!出来ました!」



お道「ああ~、良かった!

   お察、いつもありがとう。

   行って参ります。

   ・・・・あれ?

   またなの?

   私の草履(ぞうり)が、

   見当たらない・・

   困ったわ・・・

   どなたのか、わかりませんが、

   少しの間、お借りします。」



お道は、自分の草履が見つからず、
正室を待たせることも
できないゆえ、とりあえず、
他人の草履を、借りる事にした・・・。


   



今から、ちょうど300年前、
江戸時代にまで、遡(さかのぼ)ります。


享保九年、四月二日、

午後八つ刻(午後2時~4時頃)・・・


場所は、江戸にあります、
浜田藩邸、奥御殿。
長局(ながつぼね)

あります、お道の自室から、
物語は、始まります。


浜田藩というのは、
現在の島根県、浜田市を、
中心とした藩です。

長局というのは、
長い1棟を、
いくつもの局(女房の部屋)に、
仕切った住まいの事です。

または、そこに住む女房の事を指します。


女房というのは、我々の時代でいう、
奥さん、妻じゃなくて、
女中さんの事です。

簡単にいえば、女中さんたちが、
寝泊りし、共同生活を、
していた場所
と、お考え下さい。


浜田藩4代目藩主、松平康豊(やすとよ)は、
養子であり、かつ分家の出でありましたので、
藩内を掌握しきれず、軽視して、
逆らうような勢力もありまして、


”正室”、正式な奥さん、本妻の事ですが、
自らの血筋にあたる、
津和野藩(島根県 鹿足郡津和野町周辺)
亀井家から迎えて、
血縁関係を濃くして、対抗勢力に、
邪魔されない、藩政を目指します。


藩政(はんせい)とは、
藩内の政治です。


正室が、輿入れ(嫁入り)の際は、
亀井家から、局(つぼね)を、
連れて来たのですが、


大河ドラマとか、時代劇などで、
よくお姫さまに、年配の、しっかりした女性が、
付くのを、ご覧になったかと思います。


そんな感じを、イメージして頂きまして、
話を戻しますが、
その局は、といいますと、


大ベテランの、

落合沢野(さわの)


中老という役職の方を、
正室は、一緒に連れて来て
お嫁に来たわけです。


ちなみに、中老が出てきましたので、
ちょっと、大奥における役職
説明いたしますと・・・
偉い順に、並べてみますね。


御年寄(おとしより)

 大奥全体の統括を担う最高位。
 将軍の生母や側室が就任することが多く、
 大奥の運営を掌握していました。

老女(ろうじょ)

 文字通り「年老いた女性」という意味です。
 年齢を重ね、経験豊富な女性が務めることが、
 多かったと考えられます。


中老(ちゅうろう)

 老女ほど高齢ではないものの、ある程度年齢を重ねていて、
 若手の指導や、監督を務めていた役職です。

御年寄に関しては、
江戸城と違い、各藩全てに
あったわけではなくて、
規模によっては、

無かったりするので、
浜田藩においては、
資料を見ていますと、


老女の記述は、
あったのですが、
御年寄は、なかったので、


はっきりした事は、言えません。
本題とは、関係ないので、
あまりこだわらなくて、いいでしょう。


さて、中老の沢野ですが、
正室と、一緒に来て以来、
浜田藩の、大奥で逆らえない人が、
いないほどの、権力の
持ち主になります。


沢野という人は、
由緒ある武家の娘さんで、
才能も、学力もあって、
大奥の運営に、


私欲を入れなくて、公正に、
きちんとやっていたそうですが、
いかんせん、心が狭いといいますか、
意地悪といいますか、


すぐ火がつきやすいタイプで
働いてる女中さんから、嫌われて、
人望は、無かった人です。


現代の会社でもそうですが、
当然ながら、こういう人がいると、
大奥の雰囲気が悪くなる。


これを心配した正室が、
もう一人、中老を入れようと
いう事で、白羽の矢が立ったのが、

(#白羽の矢=集団の中から、特に選ばれる。)


郡山藩士(こおりやまはんし)だった、
父親の娘、冒頭で登場した、
道(みち)であります。

だったと書いたのは、
元郡山藩士で、
浪人をしていたわけです。


じゃあ、その新しい中老に、
お付きの下女が、必要だと
いう事で、選ばれたのが、

柔術や薙刀(なぎなた)の
免許を持った、
若くてたくましい女性、

こちらも、冒頭で登場しました、

察(さつ)

であります。

2人は、主人と下女というより、
姉妹関係のような、間柄でした。


お道は、和歌や茶道、琴など、
多才の上、はきはきとして、
正室からも、大変気に入られ、
お道を、度々呼びました。


さあ、そうなりますと、
気に入らないのが、
先輩・中老 沢野であります。


大奥という、
女性だけの、
閉鎖された職場。


そういう世界というのは、
今も昔も、変わりません。


沢野の、一番悪い所である、
心の狭さが出てしまい、
ねたみもあるんでしょうが、


お道を気に入らない。
気に入らないとなると、
現代と同じで、イジメるわけです。

現代でも、問題になってる、

「パワハラ」

に、お道は、悩まされるわけです。


さあ、ここから物語を、
再開したいと思います。

物語の時は、少し口調が
変わります
が、ご容赦を。





お道「ああ~、
  
   間に合った~。

   ご正室様、

   失礼します・・・」


部屋に入り、
正室に挨拶をすると、


正室「お道、よく来たな。

   今日は、

   ”ほととぎす”の歌を、

   詠(よ)んで聞かせよ。」


正室は、お道が和歌や茶道、
琴に通じている、
その才を、気に入っていて、
今日も、その為に呼んだ。


お道「かしこまりました。」


この日、披露したのが、この歌である。



人の世の 哀れを鳴いてすぐるらむ


  初音(はつね)身にしむ 山ほととぎす



正室は、大変喜んで、

お道は、この一首を詠んで下がった。


お道「ああ~、よかった~。」



役目を果たし、安堵(あんど)して、
長局に帰る途中・・・



”お道!”

 


背後から、物凄い怒りの声が、
お道を呼び止めた・・・


先輩中老  沢野 である。   



お道「さ・・沢野さま・・」



沢野「他人の草履を履いて、

   挨拶するとは、何事か!

   その草履は、私のだと、

   承知の上で、履(は)いておるのか?」



運悪く、お道が履いたのは、
沢野の草履であった・・・


まさか、沢野の物だったとは・・
お道は、顔面蒼白になりながら、


草履をすぐ脱ぐと、
きちんと前に揃(そろ)えて、
土下座をして、ひたすら詫(わ)びた。


お道「沢野様の草履だと知らず、

   ご無礼いたしました。

   草履は、お返しいたします。

   どうか、この通りです。

   お許しください!!」


沢野は、してやったりと、
いった感じで、
その本性をむき出しにして、
更に、お道を追い込む。


沢野「中老という立場にありながら。

   恥を知りなさい!

   他人の草履を、履くなどと・・・

   そういえば、その方の親は、

   浪人をしていたのだったなあ?」



お道「沢野様、お許しください!」


沢野の、ネチネチとした
叱責(しっせき)は、
もはや止まらない・・

(#叱責=責任者が、下の者の、
     失敗や過ちを
     きつく非難すること)


沢野「浪人に落ちぶれると、

   こうも、卑(いや)しい真似を、

   なさるのかのお・・・

   一体、親はどういう教育をしたのか。

   親が親なら、子も子よのお・・・・

   ああ~浅ましい。」


お道「申し訳ありません!
 
   草履は、お返ししますので。」



必死に平身低頭して、
謝り続けるお道の前に、
沢野が、勝ち誇ったように
立つと、スッとそろえて
あった草履を、手に持つ。


沢野「お道、面(おもて)を上げよ!」

(面を上げよ=顔を上げなさい)


お道「は・・・はい・・・」


言われた通り、
ゆっくりと、顔を上げると、


”バシッ!”



あろう事か、手に持った草履で、
お道の顔を、叩いた。


当時における
武家の女性としては、
草履で顔を叩かれる、
という事は、


手で、顔を叩かれる事以上の、
屈辱的な行為であった。


沢野「他人が履いた草履なぞ、

   この沢野は、履けぬわ!

   そんなに草履が欲しくば、

   くれてやるから、

   好きに履くがよいわ!

   ああ~~卑しい、卑しい。」


沢野は、そう言いながら、
お道の髪を束ねてあった、
櫛を取り上げると・・


”バキッ!”



叩き折るという、
非情な仕打ちをした。


お道は、声を出すのを
必死で、こらえているが、
その瞳からは、
大きな粒が、何度も落ちて
床を濡らしていた。


沢野は、勝ち誇った笑いを浮かべながら、
満足そうに、立ち去って行った・・・



察「お道様!

  どうなされたのですか!」


たまらないのは、お道の方である。
その後、声を押し殺して、
泣きながら、自室に戻ると、

主人の変わり果てた姿を
目にしたお察が、
驚いて声をかける。


やっと自室に帰ると、
声をあげて、泣きながら、
妹のような存在の、
お察に、先ほどの事を、
全て話して聞かせた・・・。


沢野の妬み、嫉妬・・
その悪しき心、全てが、
今日、容赦なく、
お道を、打ちのめした。


明けて、三日・・・


辰の刻(午前7時~9時頃)



お道「お察、これを実家の

   両親に、届けてちょうだい。

   お願いしますよ。」



明るくなったお道に、
お察は、安心して、
文箱(ふばこ)を、預かる。

(#文箱=手紙を入れる箱)


お察「お道様、元気を取り戻されたようで、
   
   安心しました。行って参ります。」



途中、振り返ると
お道は、満面の笑みを浮かべ、
大きく手を振っていた・・


お道は、お察が遠くに消えるのを
見届けると、障子をサッと閉めた・・


お道は、涙が出そうなのを、
必死でこらえると、
心の中で、つぶやく・・・



”お察・・・さようなら・・



さようなら・・私のかわいい妹”




お道の顔が、凛(りん)とした顔になる。



お道「武士の娘として・・・

   草履で、顔を打たれる

   侮辱、屈辱を受けたとあっては、

   その責任を果たせぬばかりか、

   面目が立たない・・・

   さらに、お仕えする、

   ご正室様・・・

   お父上さまに・・・

   会わせる顔が無いわ・・。」



用意してあった、
白装束
(しろしょうぞく)に、
素早く着替えると・・

(#白装束=死装束とも呼ばれ、
      死者に着せる衣装。
      あの世に旅立つ時に、
      着る衣類のこと。)



お道「岡本佐五衛門(さごえもん)


   の娘、道(みち)!


   武士の娘として、


   その誇りに殉(じゅん)じ、


   わが死を持って、


   この汚名をそそぐ! 」




お初は、日頃より
愛用していた懐剣(かいけん)
を抜くと、自害して果てた・・・




懐剣




お道が詠んだ、辞世の句が残されている・・・



藤の花 長き短き世の中に

  
   散り行く今日ぞ思い知らるる



21歳の若さであった・・・・





”ブチッ!”



ちょうど同じ頃・・・


使いに行く途中の、


察の、草履の鼻緒が、


突如として切れた・・・



お察「あれ?どうしたのかしら?」


その時、少し前に、
自分をまぶしい笑顔で、
見送ってくれた主人、
お道の、先ほどの姿が、
脳裏に、突如として浮かんだ。


お察「・・・もしや!お道様に何か!」


胸騒ぎを覚えたお察は、
鼻緒の切れた草履を、
手に持つと、


片方は、足袋のまま、
お道の待つ藩邸まで、
全力で駆け戻った。


”サッ!”



片方の足袋は、
泥まみれになりながらも、
急いで、閉ざされていた
障子を開ける・・・



お道様!どうして!



障子を開けた世界には、
変わり果てた主人、
姉のように慕っていた、
お道の亡骸があった・・・



お道様!どうして、察に、


共に死ねと・・・


命じてくれなかったのですか!



号泣して、名誉に殉じた主人の、
亡骸にすがりつく察、


お察「おや・・・?」


察が、泣きながらも、
ふと顔を上げると、
道の亡骸のそばに、


察あての遺書と、
形見と思われる、
着物が置いてあった。


お察が、遺書を開くと、
そこには、お道が武士の娘として、
受けた屈辱に対する、
無念さが、書かれており、
その全てを、理解する事が出来た。


お察「道様・・・

   武士の娘として・・・

   そのお役目を果たされ・・

   ご立派な最期でした・・・」


道のそばに座ると、
その手を上から下からと、
両手で包むように愛おしむ・・・



お察「このお優しい手で・・

   不器用な察に・・・

   お裁縫を教えて下さいました・・

   このお優しい手で・・

   何ども何度も・・・

   お察・・ありがとうって・・

   頭を撫でてくれた・・・」


道の手を包む、自らの上の手は、
すでに、何度も落ちた涙で、
濡れていた・・・


お察「お道様の美しい髪・・

   先に、一人で逝(い)かれてしまわれては・・

   誰が、この美しい髪を・・

   結って差し上げるのですか・・・

   
   そして、美しい唇(くちびる)・・

   お察・・・お察と・・・

   何度も、その温かいお声で、

   優しく呼んで頂いた・・・

   お道様・・・・」


お察の視界に、お道の懐剣が、
目に入ると、それに手をかける。

  

お察「察も、泣いてばかりは、

   いられません・・・

   お道様が、お役目を・・

   果たされたように・・・

   察も、察のお役目を・・・

   命をかけて、果たします・・。」


そういうと、道の胸の上に、
自ら愛用の懐剣を、そっと置いた。


お察「お道様・・・

   少しの間だけ・・・

   大切な懐剣を、
 
   お借りします・・・。」


お察の瞳に、復讐の炎が宿る・・・


素早く、足袋を履き替えると、
道の部屋を出る・・・


足早に向かった先は、


沢野がいる部屋であった・・

   

”失礼いたします!”


落ち着いた声の察が、
障子を開ける・・


沢野「察ではないか?

   どうしたのじゃ?」



お察「はっ!

   主人、お道。

   今朝方・・・

   何者かに殺害されました。

   沢野様、急ぎご検分のほどを!」



沢野は、驚きの表情を浮かべる。


沢野「なんじゃと!

   お道が!

   それは、大事(おおごと)じゃ!

   察!急ぎ、部屋まで案内(あない)せい!」



お察「はっ!沢野様、かしこまりました。」



そういうと、沢野を道の部屋まで、
案内すると、障子を開け、
沢野を部屋に入れた・・・


沢野「お道!

   これは、一体どうした事じゃ!

   察、説明せい!」


沢野は、お道の亡骸を見ると、
驚いて、近寄ろうと
亡骸のそばに近づく


”サッ!”


お察が、静かに
障子を閉める・・・・


沢野「どうしたのじゃ?

   お察・・!?」



返事をしない察を、
妙に思い、
振り返る沢野、


沢野「何じゃそれは!

   気でも狂うたか!」



振り返った先には、
お道の懐剣を、
鞘(さや)から抜いて、
己に刃を向ける察がいた・・



お察「大切な我が主、

   お道様の顔を、

   草履で叩くなど、

   武士の娘として、

   その恥辱に甘んじて、

   生き恥をさらす事など、

   出来るはずもなく、

   お道様は、その誇りに殉じ、

   ご自害なされましたぞ!

   沢野どの!

   亡き主人の無念!

   晴らさせて頂くぞ!

   お覚悟なされよ!」

   


沢野は、うろたえて、
逃げようと、
後ずさりする・・・


沢野「察・・・待て!

   落ち着け・・・

   悪気は・・・

   悪気は、無かったのじゃ!」



逃げようとする、
沢野の腕を、無理やりつかむと、
その剛力で、自らの元へ
引き寄せ・・・



お察「仇討ち!御免!」








沢野「ぎゃああああ~~~~~~~!」




道が自害に使った懐剣で、
渾身の一撃を持って、
沢野の喉を突き、
見事、仇討ちを遂(と)げた。


本懐を遂げた察は、
刃についた沢野の血を、
ゆっくり、きれいに拭くと、
再び、鞘に戻し、



お察「お道様・・・・

   ご覧頂けましたか?・・

   ご無念、

   お晴らししました・・

   察も、すぐお側(そば)に、

   参りますが、

   少しだけお待ち下さい・・」



道の胸にあった、
己の懐剣と交換し、
道の懐剣は、
再び、主の下へ戻った・・・


見事、仇討ちに成功した
察は、すぐに、
奥家老、堀井次郎太夫(じろうだゆう)
奥目付、小池利右エ門(りえもん)、


に、事の次第を伝え、
調べを受けた。


既に、察は、覚悟を決めていたので、
その全てが、堂々とした振舞いであった。


浜田藩は、揺れに揺れたが、
最終的には、


「男にもなかなか出来ぬ
  仇討ちをするとは、天晴れ!(あっぱれ)」


ということで、無罪放免
察は、父親である松田助八に預けられた。
藩主 松平康豊は、
察を、中老に任じ、


「松岡」の名を与える。

松岡とは、以下のような意味を持つ。

「松」・・・松田

「岡」・・・お道の姓
      岡本に由来する。


お察は、見事、主人の無念を
晴らした事により、


「烈女」(れつじょ)



として、称(たた)えられる。


烈女とは、とても勇敢(ゆうかん)で、
強い意志や、勇気を持ち、
自分の信念や正義を守る女性を指す。

昔の日本では、自分を犠牲にして、
家族や大切な人を守ったり、
困難な状況でも、信念を貫いた
女性を、烈女と呼び称えた。


察は、その後も浜田の地で暮らし、
二十七歳の時、藩士と結婚し、
幸せな生活を送り、
七十一歳で、その生涯を閉じた。


島根県浜田市にある、
「宝福寺」に、
お察は、”お初”とも呼ばれていたが、

「烈女 お初の碑」

「松田察の墓」

が、ある。

以下に、宝福寺HPを載せたので、
ぜひ、あちらで直接、
ご覧頂きたい。


「宝福寺様公式HP」



この事件より、
およそ五十八年後、

天明二年(1782年)
大胆に脚色され、
人形浄瑠璃(じょうるり)、


「加賀見山旧錦絵」

(かがみやま こきょうのにしきえ)


と題されて、人気を博す。
更に、翌年には、歌舞伎にもなる。


『鏡山旧錦絵』(かがみやま こきょうのにしきえ)

(「加賀見山旧錦絵」と題されて、上演される事もある)


これが、大当たりして、
以降、歌舞伎の世界では、

新春  「曾我狂言」

年末  「忠臣蔵」


そして、宮中、将軍家、
大名家など、奥向きに使えた
女中が、宿下がりする三月。

宿下がりとは、奉公人が、
暇(休暇)をもらい、
実家に帰る事をいうのだが、


この『鏡山旧錦絵』を、
上演するのが、定番
となった。


お察の仇討ちは、
こうして広く世に知られる事になり、
後世にまで、褒め称えられる事になった。


この事件を、後の人々は、
こう呼んで、お察を称える・・


「鏡山事件」



と・・・

なお、見方の一つではあるが、
鏡山の解釈を、
作家の中村彰彦氏は、

お察の仇討ちが、

「女の鑑(かがみ)」

として、世に謳(うた)われたことに、
発するのでは、ないだろうか?
と、独自の解釈を著書に記している。


さて、読者は、
どう推測されるだろうか?
それぞれの想像力に、委(ゆだ)ねたい。



願わくば、私の愛する女性読者が、
職場で、沢野のような上司に、
パワハラを、受けていない事を、
心から願いながら、

この物語に、幕を下ろす事にする。




「草履と烈女」   <終>







さて、最後までお読み頂き
ありがとうございました。


お疲れ様でした。


一人女忠臣蔵ともいうべき、
「鏡山事件」を、

私なりに、
書いてみました。


難しくなかったですか?
極力、難しい言葉は、
使わないよう心掛けたのですが、
いかがでしたでしょうか?


どうして、鏡山事件を、
書いてみようかと思ったのか?
それは、この本を読んだ事が、
きっかけです。






最近出た本なのですが、歴史の逸話など、
色々、たくさん載っているのですが、
その中で、見開き2ページ、
ページ数だと、4ページ分なのですが、
この鏡山事件が、紹介されてました。


読み終わって、2日、3日経っても、
この話だけで、頭から離れなくて、

ん~、書いてみたい!
ってなって、勝手に書き始めていました。


こちらの本、今回、作品を書くにあたり、
参考に、させて頂きました。
大変ありがとうございました。


面白いので、未読の方は、
ぜひ、お手に取ってみて下さい。


忘れちゃうと、申し訳ないので、
先に、参考にさせて頂いたサイト様
書いておきますので、
より詳しく知りたい方は、
そちらへお願いします。



「歴史人様 HP内 <鏡山事件>」


「浜田市観光協会様公式HPより

    はまナビ内  5分で分かる浜田 」

    

両サイト様、大変ありがとうございました!



話を戻しますと・・・

昨日、今日で、
作品の為に、色々と勉強しまして、
こうして、なんとか、みなさまに、
ご覧頂く事が、出来たわけですが、


参考にさせて頂いた本や、サイト様でも、
セリフが、3,4行くらいだったので、
いつもの如く、だいたいが、私の脚色です。


お察が、お初ともあったので、
紛らわしくなるので、
碑の所以外は、お察で統一しました。


人形浄瑠璃と、歌舞伎の演目、
題名ですが、何か色々と他にも、
あるらしく、書いた以外にも
あるかと、思いますが、

ご了承下さい。


パワハラは、今も昔もですが、


やっぱり、女性だらけの
職場ってのは、色々と、
独特なものが、男と違って、
ありますな。


私も、男性10人くらいで、
女性が、20代~70代の
60人くらいの所で、
働いてた事が、あるのですが。


私なんかは、こんな感じですから、
特に、年配の方からは、
仕事中や休憩時間、よくおしゃべりに
誘われたりしまして、


普通に、みんなで話してる時に、
ある一人の女性が、スッと、
席を立っていなくなると、
先まで、仲良く話してたのに、


その人の悪口で、盛り上がってたりしてねw
そういうのが、あっちこっちで、
よくあるものですから、


まあ、話は聞くけど、
意見は言わずに、悪口には参加せずで、
修行じゃないけど、そういう所で、
年代別の、女性とのしゃべり方、
対応の仕方なんかも、習得しましたw


男だけの所もありますが、
あんまり、そこまではね。
やっぱり、女性の世界は、
奥が深いですなw


さて、みなさまも、
職場、学校、家庭もそうですかね。
パワハラとか、イジメ
大丈夫ですか?


泣かされたりとか、苦しんだり、
されてませんでしょうか?


男性でも、女性でも、
色々と、我慢なされてる方も、
おられるかと思いますが、


私には、何か出来るわけでもないし、
ここで、偉そうに無責任な発言は、
出来ませんので、何も言えませんが、


私の作品を、お読み頂いてる間は、
ちょっとでも、現実から離れて、
笑ったり、楽しんで頂けたら、
いいなと、思っております。


さて、なんか真面目な話に
なって、堅苦しくなってしまうのも、
申し訳ないので、この辺りで、
お別れしたいと思います。


今回も、最後までお読み頂き、
本当にありがとうございました。


では、また次の作品で
お会いしましょう!


さようなら!!





「写真AC様」 「イラストAC様」

いつも素敵な画像ありがとうございます!











懐かしいやら、マニアックな内容やらですが、 もし、よろしければですが、サポートして頂けたら 大変、嬉しく感激です! 頂いたサポートは、あなた様にまた、楽しんで頂ける 記事を書くことで、お礼をしたいと思います。 よろしくお願いします。