見出し画像

中年じじぃの(愉快な)主張vol.25

運動神経について(ボーイスカウトと宇宙について)

2024/10/28

私には運動神経が備わっていないが、体を動かすことは好きなので、山登りやキャンプを時々楽しむ、という話の、今日はキャンプ編。

近ごろはコロナのせいもあって、空前のアウトドアブームらしい。
アウトドアが混み合ってきたらアウトドアでなくなるのでは? という心配をする人はいないようで、ブームは続いている。

私がキャンプを初めて経験したのは、はるか昔の小学生時代。
何事につけだらしなく、時間にも約束にもルーズな私を矯正するため、両親はボーイスカウトに入隊させた。(たしかその子供版の、カブスカウトという組織だったと思う)

いま思えば、なぜ野球や武道ではなくボーイスカウトだったのか謎だが、きっと両親も私の根性のなさを見抜いていたのだろう。野球や武道では早々に逃げ出すと思ったのだろう。さすがだ。

それに、なるべく大勢の中に放り込んだほうが、何事につけ流されやすい私も長続きすると思ったのだろう。さすがだ。

きっともう少し年齢が上がっていたら、自衛隊に入隊させたに違いない。危ないところだった。
(もちろん自衛隊自体は危なくない。)


様々なボーイスカウトの活動の中で、キャンプやハイキングは、私を虜にした。

山や川を歩き、何もないところにテントを張り、寝床を作り、食べ物をこしらえ野営するという行為にハマってしまったのだ。

私にもし、根性と使命感と強い愛国心があったら、長じてのち自衛隊員になっただろう。
残念ながら(国にとっては幸い)私は会社員になった。

 

キャンプという趣味は、オッサンになったいまも細々と続いている。もちろん凍える心配がない季節だけだ。

高度な技術が必要なキャンプはしない。
だいたい、なぜ薪割りしたり、火起こししたり、魚を釣ったり捌いたりする必要がある?
それって〝キャンプ〟ではなくて〝サバイバル〟ではないか。

根性無しの私に、いったいなにをサバイブしろというのだ。日々を生き抜くだけでアップアップだぞ。

火起こしなど、私にはライターとガスボンベがあれば充分だ。
食事も途中のスーパーで、温めたり焼いたりすればいいものを買っていく。
間違っても、生モノや調理が必要なものは買わない。
だいたい、山の中でナイフで手を切ったり、腹痛を起こしたらどうするのだ?


しかし、臆病かつ根性なしの私だが、なるべく人が少なく、不便そうな場所を選んで出かける。
ファミリーキャンプ場みたいなところには行かない。

だって、となりのテントにイカツいオッサンが一人いたら、小さな子供を持つ親は嫌でしょう?
私は子供が好きだが、ほとんどの子供は私を嫌いだ。

ひとり、酒を飲みながら、午後の湖畔や、夕暮れの海岸や、山中の星空の下で、ただただぼぅっとするだけだ。

そりゃあもちろん、家でもぼぅっとできる。というかしている。
でも、〝ぼぅっと〟の純度が違うんだよなぁ。

『あぁ、この浜辺の砂も、元はといえば岩だったんだなぁ』
とか、
『あぁ、いま見ている星空の光は、何万年も前にその星から放たれた光だなぁ』
とか、
『あぁ、いま食ってる焼鳥丼の鶏は、数ヶ月前にはヒヨコだったんだなぁ』
とか、極めて低度な思索にふけっている。

大勢で行くコテージ泊のようなアウトドアも楽しいが、最近は〝ソロキャンプ〟というジャンルが確立されたようで、まことに心地よい。

だがそこで私は思い至る。

『あれ? おれがいつもやってることって、だいたい〝ソロ〟つくんじゃね?』
キャンプ、山登り、旅行、読書、、、。


『ヤバい、ヤバいぞ、おれ! もっと社会性を身に着けろ! そしてもっと社交的になれ! ボーイスカウトに入り直せ!』

私は真剣に考えた。
ボーイスカウトって〝ボーイ〟じゃなくても入れるのかなぁ。

何万年も宇宙を旅した光が、今日もさめざめと私を照らす。


いいなと思ったら応援しよう!