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中年じじぃの(愉快な)主張vol.8

老眼について (記憶と信号機について)

2024/10/1

 ついに来た。私はここ半年から一年のあいだぐらいで、老眼のようなものに侵されている。

 はじめは、爪を切るときの爪切りの位置がなんだか遠いなぁ、と感じた。
同時に、文庫本を読むときの本の位置が遠くなってきて、日を追うごとに、少しずつ本を持つ手が伸びてきた。

 これ以上、老眼のようなものがすすむと、腕を目一杯伸ばさなきゃいけなくなる。
そこから先は考えるのも恐ろしい。
ルーペを使うか、ゴムゴムの実を食べるかだ。

 〝老眼のようなもの〟と書くには理由がある。
診断されたわけではないからだ。もしかして、一過性のものかもしれない。(ちょっと長いが)

 だが、老眼は全員にやって来るらしい。だとすると、人間には2種類の人がいる。老眼になった人となる前の人だ。
あぁ、私はついこの間まで、なる前の人だったのに。

 だが老眼らしきものに冒されたとしても、私の年齢からすると遅いほうだ。
同僚の一人は、30代の頃から老眼で苦労していた。
当時私は、『老眼で文字が見えにくい仕草はジジくさいなぁ。こいつイケメンなのにもったいないなぁ。やはり神は二物を与えないのだ』などと、完全に他人事だった。

 真偽は分からないが、乱視は老眼になりにくいと聞いた。
私は視力そのものはそれほど悪くないが、バリバリの乱視だ。
20代の頃にはもう、月がふたつか三つに見えていた。松本零士のマンガみたいだ。もしくは村上春樹の小説。
30代では、矢印信号はかなり近づいてからじゃないと、進む方向は分からなくなった。危ない。

 そんな乱視の苦労に長年耐えてきたのに、ここへきて老眼とは、、。

 老眼的な症状はまだこれから進むのか?
一度眼科に行って潔く断定してもらったほうがよくないか?
老眼鏡を作るべきなのか?
もうあの頃(なる前の人)には戻れないのか?

 老眼は加齢によるものだが、同じようなものに『記憶』もあって、私はこの二つはよく似ている気がする。
つまり、歳をとるほど遠くのものはよく見えるが(遠い過去の記憶は鮮明だが)、近いものは見えづらくなる(最近のことはよく忘れる)。
そのうち、ごくごく最近のこと、例えば昨日の晩ごはんのおかずが思い出せなくなるのだろう。
それどころか、朝ごはんを食べたかどうかも忘れるのだろう。

 老眼は、その入口におまえも立ったのだぞ、という、人生からのお知らせなのかもしれない。


 ところで、乱視って『錯乱』と『錯視』がミックスされたみたいで怖いですね。

 矢印信号を間違ったほうに進んだら、錯乱してると思われても仕方ないか。

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