中年じじぃの(愉快な)主張vol.11
喫茶店について (「純」について)
2024/10/4
私はよく喫茶店を利用する。
イマドキの喫茶店のコーヒーは、どこも美味しいと思う。ここのコーヒーいまいちだったなぁ、という店は全く見当たらない。
どちらかというと、チェーン店より個人店のほうが好きだが、チェーン店もよく利用する。
なにせ、どこにでもあって便利だし、値段は安いし、コーヒーもサービスも品質が高いし、一日中やってて定休日がない。
なかには飲み物の紙コップに、店員がメッセージを書くところもあるらしい。ラジオで言っていた。
それって芸能人だけだろうか?
私も常連になったら何か書いてくれるのだろうか?
〝寂しくないですか〟とか〝後悔してませんか〟とか書かれないだろうか?
きっと一番怖いメッセージはこれだ。
〝やっと会えました、アタシはあなたの娘です〟
もちろん心当たりはない。
私が思うに、個人店の良いところは、
1、適度に力が抜けていて、
2、混み合いすぎることがなく、
3、騒がしいグループ客がいない
という点だ。
今ではあまり見なくなったが、少し前までは煙草の煙が漂う店も多かった。私は煙草を吸わないが(やめてしまったが)それはそれで昭和の空気が感じられた。
これも今ではほとんど見つけられないが、「純喫茶」という看板を掲げた店も良い。
若い頃、純喫茶とは何ぞや? と思っていた。「純」って何の意味があるの?
どうやらそれは、昭和の中頃の、「ウチはジャズ喫茶でも歌声喫茶でもノーパン喫茶でもありませんよ。ただコーヒーを楽しむだけの店ですよ」という意思表示らしい。
以前、私は引っ越しが多かったということを書いたけど、新しく住む街に、そんな喫茶店を見つけると心が躍った。
繁華街で飲み歩いたあとに、なぜか終夜営業の純喫茶に入って、熱いウインナコーヒーなんぞをすするのも楽しかった。居酒屋でもバーでもなく、喫茶店というところがいい。
個人店のメニューは手作り感満載で、しかも程よくくたびれていて良い。チェーン店でよく見かける、わけの分からん季節モノを勧めてくるメニューは、できればやめてほしい。
毎年、バレンタインやら夏休みやらハロウィンのたびに、わけの分からんメニューが登場する。
だいたい、むさ苦しい中年男の私が、いちごパフェや、かき氷や、パンプキンパイを注文すると思うのか。
〝スウィーツ男子〟なる人は、私の周りには誰もいないけど、そもそも本当に存在するの?
飲食店はどんどんチェーン店に席巻されていくように見えるが、喫茶店だけは個人店がこれからも頑張ってほしいなぁ、と〝純〟粋に思う。
ところで、「純」がつく言葉に悪い言葉は無いように思うけどどうでしょう。
純情、純真、純良、純愛、、、。
その逆で、「極」とか「強」とか「豪」のつく言葉はなんか怖いものが多い。
極悪、極道、強烈、強盗、豪族、ゲリラ豪雨、、、。
強雨や豪雨じゃなくて「純雨」だったら風情がある気がする。そんな言葉たぶんないけど。
強い風や蒸し暑さもなく、ただただ静かに雨が降り続く午後、そんなイメージだ。
おっと、〝純〟米酒を忘れてた。一番いい言葉だ。
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