中年じじぃの(愉快な)主張vol.10
禿頭について(ニコラス・ケイジとシルバーシートについて)
2024/10/3
中年男が一丁前に、心に映るよしなしごとを書き記している以上、このことに触れないわけにはいかない。
ズバリ、ハゲについてだ。
世の中で広く使われているハゲという言葉は、もうなんだか身も蓋も前髪もないような気がするので、私は禿頭(トクトウ)と呼ぶ。禿頭(ハゲアタマ)では断じてない。
私の頭は、今のところセーフだ。しかし遠くから見るぶんにはいいが、近づいてよく観察すると、禿頭の前兆ははっきりと表れている。
思えば、20代の終わりに最初の危機は訪れた。不摂生な生活のせいもあって、一気にウスくなったのだ。
それはまるで、富士の樹海が雑木林に、肉野菜炒めがもやし炒めになったような寂しさだった。
しかし私は強がりだった。『ショーン・コネリーみたいにハゲたらモテるんじゃないか』などとうそぶき、なんら手を打つことなく怠惰な生活を続けた。
やがて30代も半ばに差し掛かると、気のせいか(気のせいではない!)おでこが少し広くなっているように感じられた。
それでも私は強がった。『ニコラス・ケイジみたいになったらセクシーなんじゃないか。いや、むしろモテすぎて困るのではないか』
しかし30代も後半戦に入り、ある朝、鏡に映った疲れが残る男の顔を見て気がついた。
『まてよ、もしショーンやニコラスみたいに剥げたとしても、お前の顔はショーンでもニコラスでもないぞ。ヤバい、ヤバいぞお前(俺)!』
その日を境に、私はハゲないための日々の努力を欠かさぬようになる。
具体的には、、、いや、やめておこう。
そんなことは中年男性ならみんなやっているだろう。第一、ハゲ防止の対策ほど、禿頭と無関係な人々にとってつまらない話はない。
ただ、私としては、人工的な(化学的な)方法には頼らないようにしている。
例えば植毛や飲み薬である。なんだか、神に(髪に)抗うおこないのように思えてしまうのだ。(お金もかかるし)
そんなことをするくらいなら、毎日、神に(髪に)お祈りでもしたほうがいい。
そういうわけで、私は日々のお祈りの成果もあり、今のところ『前兆』と『目に見える進行』のあいだくらいで踏みとどまっている。
神よ(髪よ)どうかこのまま私に変わらぬ愛を与え給え。
ところで、禿頭(ハゲアタマ)の人がシルバーシートに座っていると『スミマセンねぇ、なにせこんな頭ですから』という感じが否めない。
しかし禿頭(トクトウ)の人だと『トクトウですけど何か?』という堂々とした人に見える。
トクトウ席だ。
あーあ。私の髪の毛とともに、ユーモアのセンスも後退し、抜け落ちていく。