中年じじぃの(愉快な)主張vol.12
名前について (〇〇子と保守的な親について)
2024/10/6
私は人の名前にすごく関心がある。
これは、私自身が、まるでガキ大将のような、単純かつ何のひねりもない、マンガみたいな名前だからだ。
だから人の名前を見たとき、名付けた人のネーミングセンスに感心したり驚いたりする。
20年くらい前、キラキラネームも話題になった。私はこれはこれで面白いと思っている。
そもそも親が子に名前をつけるとき、〝〇〇な人間に育ってほしい〟〝〇〇を大事に生きてほしい〟など、親なりの想いを込めて名付けるはずだ。
その願いが叶うかどうかはともかく。
一例を挙げると、私の親族で、「優子」と「賢一」がいる。
分かりやすい。実に分かりやすい。
残念ながら優子は、名前ほどには優しくないおばさんになり、賢一は、これはもう、はっきりと賢くないオッサンになった。
しかしまぁ、これくらいはよくあることだろう。
キラキラネームを持っ子どもたちは、より狭い範囲の、より具体的な事物になぞらえた、そしてとんでもなく独創的な名前を与えられている。
こうなると、優子や賢一どころじゃない。
〝あんまり優しくない〟〝それほど賢くない〟というのは、誰にでも当てはまる。私もだ。
だが、キラキラネームは、逃げ場のないくらい名前負けしてしまう可能性もある。
キラキラネームを与えられた子らも、順番に社会に旅立っているはずだ。
頑張れよ、若者よ。キラキラ輝いていないおじさんだが、陰から応援しているぞ。
話は変わるが、私は仕事がら、わりとたくさんの人たちと面接したり面談したりしている。
アルバイトや社員の採用や評価にかかわる仕事だからだ。
といっても、そんなに立派なものじゃない。
むしろ通常の業務に関する実務が、ぜんぜんできないダメ社員に与えられた仕事だ。
しかしおかげで、人を見る目は養われた。
もし、若き日の私がアルバイトに応募してきても、絶対に採用しない。
それくらいの人物眼は身についた。
そんな私が採用するか否かを判断するにあたり、女性の場合は、〇〇子という名前の方は、わりと積極的に採用する。
昭和が終わり、平成も中頃まできたあたりから、〇〇子という名前は徐々に減ってきた。(令和の現在はほとんど目にしない)
しかし私は「子」がつく若い女性は、ほぼ100%採用してきた。
その理由はこうだ。
〇〇子と名付けられた娘 → 親がたぶん古典的で保守的 → わりとしっかりした教育 → しっかりした大人に育つ
というわけだ。
なんだか独断と偏見に満ち満ちている気もするが、経験上、たぶん正しい。
試しに、テレビ番組表を見てほしい。
いまのテレビは、各番組の出演者が番組表で見られる。
各局のニュース番組の、アナウンサーやキャスターや天気予報士の名前を見比べてみる。
すると、平成後期から令和の現在まで、NHKがダントツで〇〇子さんが多い。
あぁ、これをきちんと統計を取っていればなぁ。何らかの場で発表できるのに。
そういう学会でもあればなぁ。
以上が、私の独断と偏見に満ちた、〝〇〇子さん、しっかりしてる説〟だ。
しかし若者よ、安心してほしい。
名前なんか後からあなたについてくる。
あなたが熱い大人であれば熱い名前に、落ち着いた大人であれば落ち着いた名前に、楽しい大人であれば楽しい名前に感じられるようになる。
〝R2-D2〟や〝C-3PO〟だって最初は記号にしか思えなかったのに、今はもう彼らにピッタリな名前としか言いようがない。
えっ! スター・ウォーズ知らない!?